この名前は、
ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)は
サントス、第二姓(父方の姓)は
ド・ナシメントです。
| アウダイール | | |
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名前 |
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本名 | アウダイール・サントス・ド・ナシメント Aldair Santos do Nascimento |
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愛称 | プルート |
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ラテン文字 | Aldair |
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基本情報 |
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国籍 | ブラジル |
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生年月日 | (1965-11-30) 1965年11月30日(58歳) |
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出身地 | イリェウス |
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身長 | 182cm |
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体重 | 77kg |
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選手情報 |
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ポジション | DF (CB) |
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クラブ1 |
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
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1986-1989 | フラメンゴ | 185 | (11) |
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1989-1990 | ベンフィカ | 33 | (6) |
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1990-2003 | ローマ | 415 | (20) |
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2003-2004 | ジェノア | 17 | (1) |
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2007-2009 | ムラタ | 10 | (0) |
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代表歴 |
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1989-2000[1] | ブラジル | 81 | (3) |
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アウダイール・サントス・ド・ナシメント(Aldair Santos do Nascimento, 1965年11月30日 - )は、ブラジル・バイーア州イリェウス出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはディフェンダー。
経歴
16歳でCRヴァスコ・ダ・ガマのトライアウトを受けたが、不合格となった[2]。一度はサッカーを諦めたが、CRフラメンゴのユースチームに入団[2]。1986年、フラメンゴでデビュー。1989年にはベンフィカへ移籍、UEFAチャンピオンズカップでは決勝に進んだがACミランに惜敗した。しかしミランのエースであるマルコ・ファンバステンをよく押さえたことに加え、ベンフィカのゴラン・エリクソン監督の勧めもあり[3]、翌年セリエA・ASローマへ移籍、守備の要としてチームを牽引した。
アベル・バルボの退団に伴いローマのキャプテンに任命され[3]、フランチェスコ・トッティに継ぐまでの間キャプテンを務めた[2]。1999年にはインテルへの移籍に傾いていたが、会長と話し合いと、ファビオ・カペッロ新監督が就任することにより残留した[2]。2000-01シーズンにセリエA優勝を果たした[3]。ローマでは2013年までアウダイールの背番号6が欠番になっていた(ケヴィン・ストロートマンの加入時、アウダイールの申し出により6番が欠番でなくなった。)[3]。
2002-2003シーズン終了後、ジェノアCFCへ移籍。1シーズンプレーし、現役を引退した。その後はビーチサッカーの選手としてプレーしていたが、2007年7月にサンマリノのSSムラタで現役復帰を果たした。2009年に再び引退。
ブラジル代表として3度のFIFAワールドカップに出場し、1994年のアメリカW杯では、DF陣に怪我人が相次いだことによりレギュラーを務めて優勝に貢献した[4]。1998年のフランスW杯では準優勝に貢献した[3]。
また、1996年のアトランタオリンピックにはオーバーエイジ枠でブラジル五輪代表として出場。「マイアミの奇跡」と呼ばれた日本戦でもプレーした。この試合において路木龍次があげたクロスに対応しようとしてGKのジーダと交錯する連携ミスから、こぼれたボールを伊東輝悦に押し込まれた[5]
その他
田中マルクス闘莉王は、エレガントなプレーをする凄いセンターバックであると評し、憧れを口にした[6]。
タファレルはアウダイールについて、「技術が高く、常に冷静なプレー振りであった。」と評価した[7]。
出典
- ^ “Aldair Nascimentos dos Santos - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/miscellaneous/aldair-intl.html
- ^ a b c d “"Pluto" Aldair, una carriera da big passata lontano dai riflettori”. GOAL (2022年10月30日). 2023年9月2日閲覧。
- ^ a b c d e “Che fine ha fatto Pluto Aldair?”. カルチョメルカート (2015年1月15日). 2023年5月5日閲覧。
- ^ “ALDAIR NASCIMENTO SANTOS”. ASローマ. 2023年5月5日閲覧。
- ^ “サッカー・アトランタ五輪:王国ブラジルを下す「マイアミの奇跡」を起こすも、2勝1敗でグループリーグ敗退”. オリンピック (2021年4月27日). 2023年5月5日閲覧。
- ^ “闘莉王が名手への“憧れ”告白 “史上最強CB”と絶賛「エレガントさは真似できない」”. news.yahoo.co.jp (2020年6月6日). 2023年5月5日閲覧。
- ^ “タファレル:セナのためにワールドカップを制したことを誇りに思う”. FIFA (2022年7月22日). 2023年6月20日閲覧。
関連項目
外部リンク
- アウダイール - オリンピックチャンネル
- アウダイール - ブラジルオリンピック委員会 (ポルトガル語)
- アウダイール - Olympedia (英語)
- アウダイール - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ (英語)
- アウダイール - National-Football-Teams.com (英語)
- アウダイール - Soccerway.com (英語)
- アウダイール - Soccerbase.comによる選手データ (英語)
- アウダイール - FootballDatabase.eu (英語)
- アウダイール - WorldFootball.net (英語)
- アウダイール - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
ブラジル代表- 出場大会 |
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ブラジル代表 - コパ・アメリカ1989 優勝 (4回目) |
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ブラジル代表 - 1990 FIFAワールドカップ |
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ブラジル代表 - 1994 FIFAワールドカップ 優勝 (4回目) |
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ブラジル代表 - 1996 アトランタ五輪 サッカー競技 銅メダル |
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ブラジル代表 - コパ・アメリカ1997 優勝 (5回目) |
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ブラジル代表 - FIFAコンフェデレーションズカップ1997 優勝 (1回目) |
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ブラジル代表 - 1998 FIFAワールドカップ 準優勝 |
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ASローマ 殿堂入り |
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2012 | |
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2013 | |
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2014 | |
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2015 | |
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2016 | |
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2017 | |
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2018 | - マリオ・デ・ミケーリ
- ジュリアーノ・タッコラ
- ロドルフォ・ヴォルク
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