アート・テイラー
この項目では、アメリカ合衆国のドラマーについて記述しています。アメリカ合衆国の短編作家の同名の人物については「アート・テイラー (作家)」をご覧ください。 |
アート・テイラー Art Taylor | |
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グレッチの広告でのアート・テイラー(1963年) | |
基本情報 | |
出生名 | Arthur S. Taylor Jr. |
生誕 | (1929-04-06) 1929年4月6日 |
出身地 | アメリカ合衆国 ニューヨーク |
死没 | (1995-02-06) 1995年2月6日(65歳没) |
ジャンル | ジャズ、ハード・バップ |
職業 | ミュージシャン、作曲家 |
担当楽器 | ドラム、パーカッション |
アート・テイラー(Art Taylor)ことアーサー・テイラー・ジュニア(Arthur S. Taylor, Jr.、1929年4月6日 – 1995年2月6日[1])は、アメリカ合衆国のハード・バップ・ジャズのドラマーおよびパーカッション奏者。ニューヨーク生まれ[1]。ハード・バップやジャズの完成に貢献した[1]。
経歴
ハーレムにおいてソニー・ロリンズやジャッキー・マクリーンと活動を共にし、1948年にハワード・マギー楽団とともに初舞台を踏んだ。
引き続いてコールマン・ホーキンス(1950年-51年)やバディ・デフランコ(1952年)、バド・パウエル[1] (1953年、1955-57年)、アート・ファーマー(1954年-55年)、ジョージ・ウォーリントン(1954年-56年)、ジョン・コルトレーン[1]と共演している。その後は自身の楽団「テイラーズ・ウェイラーズ(Taylor's Wailers)」を率いてセロニアス・モンクやマイルス・デイヴィスと共演した。1957年には、ケニー・ドーハム・カルテットの初代メンバーとなっている。1958年にドナルド・バードやボビー・ジャスパーと演奏旅行を行なった。
1963年に渡欧して、その後20年間を主にフランスに(1970年からはベルギーに)逗留し、地元のグループや、訪欧中のデクスター・ゴードンやジョニー・グリフィンと共演した。1982年に、ミュージシャン仲間とのインタビューや対話から、著書『音符と音(英語: Notes and Tones: Musician -To Musician Interviews)』を書き上げた。1990年代に米国に帰国するとフリーランスのミュージシャンとして活動を続け、1993年に「ウェイラーズ」を再結成した。
テイラーは30年以上にわたって録音活動に携わり、自身のリーダー・アルバムを、ヴァーヴやブルー・ノート、プレスティッジといったレーベルから発表している。
1995年2月6日逝去、65歳[1]。死因は不明[1]。少し前にジミー・スミスと新アルバムを完成したばかりである。
出典
- ^ a b c d e f g 朝日新聞大阪版 1995年2月8日 27面。
外部リンク
- johnny griffin ar taylor 4 tet in belgium 1A - YouTube
- johnny griffin ar taylor 4 tet in belgium 1B - YouTube