スペイン の歴史 この記事はシリーズ の一部です。 先史時代(英語版) 近代
半島戦争 1808-1814 • ホセ1世の治世 1808-1813 • 最高中央評議会 1808-1810 • カディス・コルテス 1810-1814 フェルナンド7世の治世 1814-1833 • 絶対主義の六年間 1814-1820 • 自由主義の三年間 1820-1823 • 忌むべき十年間 1823-1833 イサベル2世の治世(英語版) 1833-1868 • カルリスタ戦争 1833-1876 • 穏健派の十年間(英語版) 1844-1854 • 進歩派の二年間(英語版) 1854-1856 • 自由主義連合政府(英語版) 1856-1863 • 1868年革命(スペイン語版) 1868 民主主義の六年間(英語版) 1868-1874 • 臨時政府 1868-1871 • アマデオ1世の治世(スペイン語版) 1871-1873 • 第一共和政 1873-1874 王政復古 1874-1931 • プリモ・デ・リベラの独裁(スペイン語版) 1923-1930
現代
第二共和政 1931-1939 • 改革主義の二年間(スペイン語版) 1931-1933 • 暗い二年間(スペイン語版) 1933-1936 • 人民戦線政府 1936-1939 • スペイン内戦 1936-1939 フランコ体制 1939-1975 • 第二次世界大戦 1939-1945 • 亡命政府 1939-1977 フアン・カルロス1世の治世(スペイン語版) 1975-2014 • 民政移管 1975-1982 フェリペ6世の治世(スペイン語版) 2014-現在
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カトリック両王 (カトリックりょうおう、スペイン語 : Reyes Católicos )は、歴史的にアラゴン 王フェルナンド2世(Fernando el Católico )とカスティーリャ 女王イサベル1世(Isabel la Católica )を指す。彼らは1469年 に結婚し、後に彼らの子孫の下で王朝連合 国家としてのスペイン王国 が成立する。カトリック王の称号はローマ教皇 アレクサンデル6世によって授けられた。
両王の統治時代はレコンキスタ の末期であり、また2人が出資したクリストファー・コロンブス の西半球 、新世界 の発見により、その統治は更に強固になった。スペインはローマ・カトリック の保護者となり、カトリックの護持のために対抗改革 や、植民地 の先住民 に対する布教などの主導者となった。国内的にはイスラム教徒 やユダヤ教徒 に対する弾圧を行ったため、現在ではスペイン・イスラーム文明の豊かな資本を破壊し、その後の新大陸 での蛮行や、スペイン没落に通ずる道を開いたのだと批判する学者もいる。
なお、現在のスペイン王室は両王の次女フアナ[ 1] と三女マリア [ 2] の血統にあたる。
脚注 ^ カルロス1世の母、フェリペ2世の祖母。 ^ カルロス1世妃イサベル の母、フェリペ2世の祖母。 君主に対して 皇帝にして国王陛下 (HI&RM) 皇帝陛下 (HIM) 国王陛下 (HRM) 使徒陛下 (HAM) カトリック両王陛下 カトリック王陛下 (HCM) 至高のキリスト教陛下 (HMCM) 最も忠実なる陛下 (HFM) 信仰の擁護者 (FD) イギリス国王陛下 (HBM) 最も優れた陛下 最も慈悲深き陛下 陛下 (HM) 猊下 (HG) 王子殿下 (HRH) 高貴なる殿下 (HEH) 殿下 (HH) 枢機卿猊下 (HMEH) 大公殿下 (HSH) 輝かしい殿下 (HIll.H) 君主以外の 皇族や王族に対して 皇子にして王子殿下 (HI&RH) 皇子殿下 (HIH) 王子殿下 (HRH) 大公子殿下 (HGDH) 殿下 (HH) 公子殿下 (HDSH) 公子殿下 (HSH) 猊下 (HG) 閣下 (HE)
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