ガリア・ベルギカ
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ガリア・ベルギカ(ラテン語: Gallia Belgica、ガッリア・ベルギカ)は、現在のオランダ、ベルギー、ルクセンブルク、北東フランス、西部ドイツにわたって存在した古代ローマのガリア属州の一部である。民族的にはケルト人とゲルマン人が混在する領域であり、住民はベルガエ人と呼ばれていた。
概要
ガイウス・ユリウス・カエサルによるとガリア・ケルタエとベルガエ(Belgae)の境界は、マルヌ川とセーヌ川であり、ゲルマニアとベルギカの境界は、ライン川であった[1]。またのちにヘルウェティイ族の移住した場所もベルギカとなった。ベルギーの国名の起源である。
1世紀のガリア属州の再編成によって、ガリア・ベルギカの北部はゲルマニア・インフェリオル、東部はゲルマニア・スペリオルに分割され、南部の境界が広げられた。再編成後の境界の一部は、おおよそベルギーのドイツ、オランダ国境と一致している。ガリア・ベルギカ属州の州都はドゥロコルトルム(Durocortorum、現:ランス)に設置された。
元々のガリア・ベルギカの領域は、ローマ帝国の滅亡後、5世紀になってクローヴィス1世によりメロヴィング朝フランク王国の中心地となり、8世紀までのカロリング朝においても中心的領域であった。カール大帝の死後、ルートヴィヒ敬虔王の息子達により、フランク王国が3分割されると、ガリア・ベルギカも、西フランク王国と中部フランク王国に分割された。
ガリア・ベルギカは、その後、歴史的には低地地方(ネーデルラント)として発展し、現在のオランダ、ベルギー、ルクセンブルクのベネルクス3国とフランスのノール県、ドイツのラインラントの一部となっている。
脚注
関連項目
- ベルギカ (小惑星)
前期ローマ帝国の属州(3世紀以前) | |
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本土 |
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元老院属州 |
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皇帝属州 | |
皇帝私領 | |
東方属州(115年 - 117年) | |
117年以前に存在した属州 | |
上記は、ローマ帝国の領土が最大となった117年の属州。「東方属州」はトラヤヌス帝期にのみ存在した属州。 |
後期ローマ帝国の属州(4 - 7世紀) | |||||||||||
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歴史的背景 | 293年、ディオクレティアヌスによって属州の統治体制が再編され、新たに管区が制定された。道は337年のコンスタンティヌス1世の死後、確立された。 | ||||||||||
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ガリア道(英語版) |
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イタリア道(英語版) |
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イリュリクム道(英語版) |
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オリエンス道 |
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その他 |
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