コンスタンティヌス2世 |
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第10代 ローマ対立教皇 |
教皇就任 | 767年 |
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教皇離任 | 768年 |
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先代 | パスカリス |
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次代 | フィリップス |
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個人情報 |
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その他のコンスタンティヌス |
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コンスタンティヌス2世(生没年不詳[要出典])は、ローマ教皇であるステファヌス3世の対立教皇である(在位:767年 - 768年)。
生涯
イタリアのネピのトート公の弟に当たる。はじめは副助祭・助祭に叙任された。767年6月28日にパウルス1世が死去すると、兄のトート公の後押しを受けて選挙無しでほとんど強行して教皇として即位した。7月5日には兄の軍に守られて聖別を行なっている。
しかし兄がランゴバルド王国の攻撃を受けて殺害されると、後ろ盾を失ったコンスタンティヌス2世はラテラノ宮殿に逃亡する。768年8月にステファヌス4世が正式な教皇として即位すると、教皇として無効であるとされ、在位中に犯したとして罪状を告訴されて逮捕・投獄された。さらにステファヌス4世の密命を受けた獄吏によって目をくり抜かれた。
そして裁判では有罪とされ、769年4月[要出典]に終身刑の判決を下されて監禁された。罪人として監禁された修道院で死去している。
参考文献
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古代 | - ヒッポリュトス217-235(教皇 カリストゥス1世)
- ノウァティアヌス251-258(教皇 コルネリウス)
- フェリクス2世355-365(教皇 リベリウス)
- ウルシヌス366-367(教皇 ダマスス1世)
- エウラリウス418-419(教皇 ボニファティウス1世)
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中世 | - ラウレンティウス498-499、501-506(教皇 シンマクス)
- ディオスクルス530(教皇 ボニファティウス2世)
- テオドルス687(教皇 セルギウス1世)
- パスカリス687(教皇 セルギウス1世)
- コンスタンティヌス2世767-768(教皇 ステファヌス3世)
- フィリップス768(教皇 ステファヌス3世)
- ヨハネス8世844(教皇 セルギウス2世)
- アナスタシウス3世ビブリオテカリウス855(教皇 ベネディクトゥス3世)
- クリストフォルス903-904(教皇 レオ5世)
- ボニファティウス7世974、984-985(教皇 ベネディクトゥス7世)
- ヨハネス16世997-998(教皇 グレゴリウス5世)
- グレゴリウス6世1012(教皇 ベネディクトゥス8世)
- ベネディクトゥス10世1058-1059(教皇 ニコラウス2世)
- ホノリウス2世1061-1064(教皇 アレクサンデル2世)
- クレメンス3世1080、1084-1100(教皇 グレゴリウス7世)
- テオドリクス1100-1101(教皇 パスカリス2世)
- アルベルトゥス1101(教皇 パスカリス2世)
- シルウェステル4世1105-1111(教皇 パスカリス2世)
- グレゴリウス8世1012(教皇 ゲラシウス2世)
- ケレスティヌス2世1124(教皇 ホノリウス2世)
- アナクレトゥス2世1130-1138(教皇 インノケンティウス2世)
- ウィクトル4世(先代)1138(教皇 インノケンティウス2世)
- ウィクトル4世(後代)1159-1164(教皇 アレクサンデル3世)
- パスカリス3世1164-1168(教皇 アレクサンデル3世)
- カリストゥス3世1168-1178(教皇 アレクサンデル3世)
- インノケンティウス3世1179-1180(教皇 アレクサンデル3世)
- ニコラウス5世1326-1330(教皇 ヨハネス22世)
- クレメンス7世1378-1394(教皇 ウルバヌス6世)
- ベネディクトゥス13世1394-1423(教皇 ボニファティウス9世)
- アレクサンデル5世1409-1410(教皇 グレゴリウス12世)
- ヨハネス23世1410-1415(教皇 グレゴリウス12世)
- クレメンス8世1423-1429(教皇 マルティヌス5世)
- ベネディクトゥス14世(先代)1424-1429(教皇 マルティヌス5世)
- ベネディクトゥス14世(後代)1430-1437(教皇 マルティヌス5世)
- フェリクス5世1439-1449(教皇 エウゲニウス4世)
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