サントノレ通り

サントノレ通り
8区サントノレ通りのプラーク

サン=トノレ通りフランス語: rue Saint-Honoré、サントノレ通り)とは、フランスパリの市内中心部、セーヌ川右岸(北岸)1区にある通りである。一部8区に差し掛かる。中世後期の時代からパリ市内(パリ城壁内)中心部を東西に走る、歴史的な通りでもある。

概要

パリ1区東側から順に、フォーラム・デ・アル、 (若干サントノレ通りから離れて位置する)ヴィクトワール広場パレ・ロワイヤルルーヴル美術館テュイルリー庭園ヴァンドーム広場などに囲まれたセーヌ川右岸のパリ中心部を東西に走る。1区東側のアール通り(フランス語版)(レ・アール通り) から、コンコルド広場マドレーヌ寺院との間を繋ぐ8区内のロワイヤル通り(フランス語版)に差し掛かり、ロワイヤル通りを挟んで更に西側方面へ進むと、シャンゼリゼ大通りと並行してエリゼ宮殿前を走るフォーブール=サントノレ通り(フランス語版)[† 1]に続いていく。

通り界隈

フランス発の高級ブランドだけでも、このサントノレ通り界隈一帯には、シャネル、ロンシャン、モラビトゴヤールエルベシャプリエ、クロエ等が本店等を構える。ヴァンドーム広場付近にはカルティエブレゲブシュロンショーメヴァンクリーフ&アーペル、メレリオ・ディ・メレー、モーブッサン、またカール・ラガーフェルドが入るセレクトショップのコレット(fr)があり、ルーヴル美術館から北東側レアール地区方面にはヴィクトワール広場にケンゾー、同広場から南東側フォーラム・デ・アール界隈にはクリスチャン・ルブタンアニエス・ベー等が本店等を構える。

さらにロワイヤル通りを挟んでフォーブール=サントノレ通りに入ると、バカラ、イヴ・サン=ローラン、ドミニク・シロ[† 2]ランバンエルメスランコム、レオ・マルシアーノ[† 3]ピエール・カルダンソニア・リキエルティエリー・ミュグレーモロー[† 4]、ロジェ・ヴィヴィエ、モンクレール、パティスリーのダロワイヨ、ラ・メゾン・デュ・ショコラが本店等を構える。さらに、このフォーブール側では、グッチプラダドルチェ&ガッバーナカルティエシャネルジバンシージョン・ロブラ・ペルラなど、お馴染みのブランドが幾つも界隈で店舗を構える。また、香水のウビガンもこのフォーブール=サントノレ通りが発祥。

このように、サントノレ通りからフォーブール=サントノレ通りまで続く周辺界隈はフランスの世界的な高級ブティック等の本店が立ち並ぶ、世界屈指の高級ブランド街を形成している。また、サントノレ通りには子供服のミキハウスや、虎屋野田岩ジュンコシマダヨウジヤマモトなど、フォブール=サントノレ通りにはコム・デ・ギャルソンイッセイミヤケなど、幾つかの日系企業ないし店舗も路面店を構えている。

パレ・ロワイヤル南側ファサード西隣のコレット広場。建物はコメディ・フランセーズ

主な施設・出来事

以下、番地順に記載。

  • リヴォリ通り側からサントノレ通り方向を見る。オラトワール通り (Rue de l'Oratoire)。左はオラトワール・デュ・ルーヴル教会
    リヴォリ通り側からサントノレ通り方向を見る。オラトワール通り (Rue de l'Oratoire)。左はオラトワール・デュ・ルーヴル教会
  • オラトワール通り沿いリヴォリ通りにかけて建つ、パリでは珍しい改革派教会オラトワール・デュ・ルーヴル教会。リヴォリ通り側ルーヴル美術館から見る。
    オラトワール通り沿いリヴォリ通りにかけて建つ、パリでは珍しい改革派教会オラトワール・デュ・ルーヴル教会。リヴォリ通り側ルーヴル美術館から見る。
  • パレ・ロワイヤル (あるいは後に"パレ・エガリテ"とも呼称)、1679年
    パレ・ロワイヤル (あるいは後に"パレ・エガリテ"とも呼称)、1679年
  • Café de la Régence 1881-1910. (18・19世紀ヨーロッパにおけるチェスの聖地だったカフェ)
    Café de la Régence 1881-1910. (18・19世紀ヨーロッパにおけるチェスの聖地だったカフェ)
  • エキゾチックなエジプシエンヌ姿のコレット, 1907年。コレット広場の名称は、1966年アンドレ・マルローが、パレ・ロワイヤルやシャンゼリゼ界隈に居住していたシドニー=ガブリエル・コレットから名付けた。
    エキゾチックエジプシエンヌ姿のコレット, 1907年。コレット広場の名称は、1966年アンドレ・マルローが、パレ・ロワイヤルやシャンゼリゼ界隈に居住していたシドニー=ガブリエル・コレットから名付けた。
  • アンドレ=マルロー広場。左に走るのがサントノレ通り、右に走るのがオペラ大通り。
    アンドレ=マルロー広場。左に走るのがサントノレ通り、右に走るのがオペラ大通り。
  • アンドレ=マルロー広場界隈にあるオテル・デュ・ルーヴル ハイアット、2013年4月
    アンドレ=マルロー広場界隈にあるオテル・デュ・ルーヴル ハイアット、2013年4月
  • 『雨の中の午後のサントノレ』 カミーユ・ピサロ作、1897年, 現在のアンドレ=マルロー広場界隈
    『雨の中の午後のサントノレ』 カミーユ・ピサロ作、1897年, 現在のアンドレ=マルロー広場界隈
  • 仏のシンボルマリアンヌが描かれた『民衆を導く自由の女神』。7月革命が最初に勃発したサントノレ通り界隈のバリケード戦にドラクロワが着想を得て描いたもの。
    仏のシンボルマリアンヌが描かれた『民衆を導く自由の女神』。7月革命が最初に勃発したサントノレ通り界隈のバリケード戦にドラクロワが着想を得て描いたもの。
  • フイヤン修道院とフランス革命期間中、議会が置かれたテュイルリー庭園側のラ・サル・デュ・マネジュ
    フイヤン修道院とフランス革命期間中、議会が置かれたテュイルリー庭園側のラ・サル・デュ・マネジュ
  • ヴァンデミエールの反乱時、サン=ロック教会 (Église Saint-Roch de Paris) 界隈で王党派に対しぶどう弾による大砲で鎮圧したナポレオン。弾痕が同教会ファサードに未だ遺る。
    ヴァンデミエールの反乱時、サン=ロック教会 (Église Saint-Roch de Paris) 界隈で王党派に対しぶどう弾による大砲で鎮圧したナポレオン。弾痕が同教会ファサードに未だ遺る。
  • オテル・ド・ヴァンドーム界隈
    オテル・ド・ヴァンドーム界隈
  • ノアイユ館
  • 歩行者天国
    歩行者天国
  • 1380年のパリ市街図。内側の黒線はフィリップ・オーギュストの城壁。同外側はシャルル5世の城壁[† 10]。セーヌ川右岸左側にサントノレ通りが見える。サントノレ通りとルーヴル砦(ないし城)の間にあるレ・キャンーズ・ヴァン (Les Quinze-Vingts) は、聖ルイ設立の盲人病院[† 11]。
    1380年のパリ市街図。内側の黒線はフィリップ・オーギュストの城壁。同外側はシャルル5世の城壁[† 10]セーヌ川右岸左側にサントノレ通りが見える。サントノレ通りとルーヴル砦(ないし城)の間にあるレ・キャンーズ・ヴァン (Les Quinze-Vingts) は、聖ルイ設立の盲人病院[† 11]
  • 1857年パリ改造初期に発刊されたフランス革命期1792年の地図。テュイルリー宮殿とサントノレ通り(リヴォリ通りやオペラ大通りは未開通)。
    1857年パリ改造初期に発刊されたフランス革命期1792年の地図。テュイルリー宮殿とサントノレ通り(リヴォリ通りやオペラ大通りは未開通)。
  • Détail du plan de Paris par Mérian (1615) montrant le faubourg au delà de la seconde porte Saint-Honoré. (1615年のサントノレ門(ルイ13世の城壁 (fr)[† 10]時代)と門外のフォーブール=サントノレ)
    Détail du plan de Paris par Mérian (1615) montrant le faubourg au delà de la seconde porte Saint-Honoré. (1615年のサントノレ門(ルイ13世の城壁 (fr)[† 10]時代)と門外のフォーブール=サントノレ)
  • 161-163番地にある、パリ包囲戦 (1429年)でサントノレ門(シャルル5世の城壁 (fr)[† 10]時代) を攻撃したジャンヌ・ダルクのレリーフ
    161-163番地にある、パリ包囲戦 (1429年)でサントノレ門(シャルル5世の城壁 (fr)[† 10]時代) を攻撃したジャンヌ・ダルクレリーフ
画像をクリックして拡大

主な商業施設・店舗など

以下、通り東側レ・アル地区フォーラム・デ・アル界隈レ・アル通りとの起点から、通り西側8区内で接続するフォーブール=サントノレ通り方面へと、順々に記載。

  • ブティック "Au Bourdon", サントノレ通り93番地 及び、"À la renommée des herbes cuites", サントノレ通り95番地、1908年
    ブティック "Au Bourdon", サントノレ通り93番地 及び、"À la renommée des herbes cuites", サントノレ通り95番地、1908年
  • 同現在
    同現在
  • 1869-1976年の間、アンドレ=マルロー広場界隈にあったモワナの広告, 1929
    1869-1976年の間、アンドレ=マルロー広場界隈にあったモワナの広告, 1929
  • 同モワナの広告, 1929
    同モワナの広告, 1929
  • L'Auberge du Louvre (オーベルジュ・デュ・ルーヴル), 98 Rue Saint Honoré
    L'Auberge du Louvre (オーベルジュ・デュ・ルーヴル), 98 Rue Saint Honoré
  • ピエール・マルコリーニ
    ピエール・マルコリーニ
  • モラビト本店
    モラビト本店
  • ゴヤール
    ゴヤール
画像をクリックして拡大

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 同様に、パリ7区のフォーブール=サンジェルマン、同12区のフォーブール=サンタントワーヌ…などに用いられる"フォーブール"とは、ラテン語で"外れ"、"城外"の意。
  2. ^ イヴ・サン=ローランの下で学び、ジバンシーのアシスタントを務め、当時の顧客にオードリー・ヘップバーン等がいた。1989-1996年の間はハナエ・モリのデザイナーを務めた。1998年には大丸と提携しプレタポルテを担当した。2000年以来、フォーブール=サントノレ通り14番地に本店がある。
  3. ^ 1970年代以降、フランスと日本の2カ国で人気があったブランドだった。健康上の理由により、1985年以降閉業状態にある。
  4. ^ 19世紀後半の1882年、サントノレ通り283番地発祥の婦人バッグなど革アイテムのファッションブランド。現在はフォーブール=サントノレ通り49番地に本店を構える。
  5. ^ 1588年5月12日、ユグノー戦争のバリケードの日 (fr) は、サントノレとアルブル=セック通りとの角で勃発し、カトリック派ギーズ公が国王アンリ3世をパリから追い出した。
    1830年7月27・28・29日の3日間勃発したフランス7月革命の初日27日、サントノレの現在のオペラ大通り界隈ロアン通り (fr) からレシェル通り (fr) にかけて築かれたバリケードが同革命の始まりであった。このバリケード戦はウジェーヌ・ドラクロワに『民衆を導く自由の女神』を描く着想を与えた。
    同通りのその他の革命については「Rue Saint-Honoré#Une rue « révolutionnaire »」を参照。
  6. ^ 1610年5月14日、サントノレ通りの東側至近、レ・アル地区のフェルヌリ通り (fr) で、ラヴァイヤックがアンリ4世を暗殺した。同通り11番地路上にプラークがある。また、同通り2-4-6-8-10-12-14番地に渡る長いビルは、パリ市内で最も長いビルの一つになり、1669年-1678年にかけて建造された。
  7. ^ 同サントノレ通り北側、マルシェ=サントノレ広場 (fr) 界隈のドミニコ会ジャコバン修道院(フランス語版)に会派が置かれていた。また、フイヤン同様に会派の名称の由来となった。「Couvent des Dominicains (Paris)」も参照。
  8. ^ ショセ=ダンタン通りに邸宅があった。
  9. ^ 2002年秋からフランスとカナダケベックでテレビ放映された『ナポレオン (テレビドラマ)(フランス語版、英語版)』のシーン( 仏語 - YouTube、英語 - YouTube)も参照。
  10. ^ a b c d パリの行政区」「パリ改造」「シャルル5世の城壁 (fr)」「ルイ13世の城壁 (fr)」「ティエールの城壁」なども参照。
  11. ^ 現在のサントノレ通りとルーヴル宮殿の間、パレ・ロワイヤル向かいサントノレ通りと東西に並走するリヴォリ通り付近、南北に走るオペラ大通りの起点付近にあった。文字通り(フランス語の昔の数の数え方。キャンーズ・ヴァンは15×20=300)300床のベッドがあった。1779年、ルイ16世が現在の12区シャラントン通り界隈に移設した。
  12. ^ 2002年、音楽レーベルからスタートし、ファッションブランド、カフェなどを展開する日本人とフランス人によるコラボブランド。2008年、パレ・ロワイヤルに開店。2013年以降、東京南青山の表参道交差点界隈や代官山にブティックやカフェがオープンしている(“メゾン キツネ / MAISON KITSUNÉ”. VOGUE (2018年). 2018年7月12日閲覧。)。
  13. ^ ヴィクトワール広場界隈、サンジェルマン=デプレ界隈7区バック通り (Rue du Bac)、16区パッシー通り (Rue de Passy)、ボルドー、NYマンハッタン等に店舗がある他、東京南青山5丁目交差点界隈のELLE café AOYAMA のインテリアデコレートも担当した(パリの人気デザイナー、サラ・ラヴォワンヌが語る「エル カフェ」青山店のインテリアの秘密 ELLE DECO 2016年11月10日)。
  14. ^ 同サントノレ通り108番地にも店舗がある。その他に、リュクサンブール庭園南西側ヴァヴァン通り (Rue Vavin) 3番地、7区クレール通り (Rue Cler) 入り口ラ・モット=ピケ大通り (Avenue de la Motte-Picquet) 23番地bis、9区ギャルリー・ラファイエット内、マレ地区ブルターニュ通り (Rue de Bretagne) 41番地、東京神宮前、銀座台北上海等に店舗がある。
  15. ^ イヴ・サロモン内で、老舗ファーブランドのルヴィヨン (Revillon Frères) も取り扱う。フォーブール=サントノレ通り36番地、モンテーニュ大通り40番地にも店舗がある。
  16. ^ ミシュランガイド2つ星の店舗。同本店のライセンスブランド店に、銀座四丁目交差点のレストラン(2020年閉店)、渋谷ブーランジュリー(2019年開店)などがある。
  17. ^ ヴィクトワール広場やフォーラム・デ・アールがあるレ・アール地区、パリ1区ルーヴル通り25番地にもブティックがある。
  18. ^ 2005年度の『パリの最優秀ブラッスリー』として日本でもマスメディアを通じてよく喧伝されるブラッスリーないしレストラン。例えば 「シェ・フロット(パリ一区) ブノワ(青山)」 (All About, 2013年) などの記事。

出典

  1. ^ Un restaurant historique Cáfe Ragueneau (フランス語)
  2. ^ “官能的なシャンタル・トーマスのランジェリー♡”. マダム・フィガロ.jp (2015年3月23日). 2019年3月7日閲覧。“日本のお店で買える、パリの人気下着ブランドを厳選”. All About (2017年4月13日). 2019年3月7日閲覧。
  3. ^ パリにパコ・ラバンヌのブティックがオープン。東京では、小物のポップアップストアが! マダム・フィガロ.jp 2016年2月3日
  4. ^ “「ヴァレンティノ」がメンズ旗艦店をパリにオープン”. WWD (2014年1月23日). 2018年6月9日閲覧。

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、サントノレ通りに関連するメディアがあります。
  • 表示
  • 編集

座標: 北緯48度51分53秒 東経2度19分56秒 / 北緯48.86472度 東経2.33222度 / 48.86472; 2.33222