シヴァ派

インド哲学 - インド発祥の宗教
ヒンドゥー教
基本教義
修行・礼拝
一覧
寺院の一覧遺跡の一覧
  • ヒンドゥー教の祭の一覧(英語版)
  • ヒンドゥー教徒の国別人口(英語版)
  • ヒンドゥー教用語の一覧(英語版)
  • ポータルポータル

シヴァ派: Śaiva, シャイヴァ(シヴァ神の信徒))は、ヒンドゥー教における有力な宗派の1つ。シヴァ神を奉じる一神教であり、シヴァ教とも呼ばれる[1]

概要

シヴァ像を取り囲む人々

シヴァ派(シヴァ教)の起源は相当に古いと考えられるが、文献で確認できる限りでは、2世紀のクシャーナ朝時代には、既にかなり大きな勢力となっていたようである[2]

シヴァ神を最高神として崇拝する。シヴァ神には、「イーシュヴァラ」(自在天、主宰神/最高神)、「マヘーシュヴァラ」(大自在天)等の伝統的な絶対者概念が異名として取り込まれており、シヴァ派によるその「一者」概念の普及・探求は、ヨーガ学派不二一元論などの哲学的発達にも寄与した[3][4]

シヴァ派は仏典でも、「自在天(イーシュヴァラ)・大自在天(マヘーシュヴァラ)を崇拝し、体中に灰を塗りたくる外道」「人間の髑髏を連ねて首飾りにする外道」等として言及されている[2]

歴史・宗派

パシューパタ派

2‐3世紀頃からシヴァ派・ヴィシュヌ派双方において教理と実践の体系の組織化が行われるようになり、シヴァ派ではこの頃から最古の宗派であるパシューパタ派(英語版)(Pāśupata、獣主派[2])の体系化が始まったと思われる[1]。パシュパティ(獣主)とは、シヴァ神の激しい相であるマハーカーラ(Mahākāla、大黒)の別名である[5]。 原因(パティ、主たるシヴァ神)、結果(パシュ、家畜たる個々人の魂(個我))、ヨーガ(シヴァ神と個我との合一)、教令(儀軌、合一のための修行法)、苦の終息という5つの原理が立てられた[2]

インド西部のヴァドーダラー(バローダ)の近くを起源とし[1]、バローダ地方生れのラクリーシャ(英語版)(年代不明)を開祖とする[2]。彼はシヴァ神の28番目の化身で、パシューパタ派の根本聖典『パーシュパタ・スートラ(英語版)』を著したと伝承される[2]。パシューパタ派の文献はわずかにしか現存していない[6]。解脱に至る道の系統としては超道(Atimārga、アティマールガ)に分類される[7]

パシューパタ派では、身体に灰を塗り、奇声を発したり歌ったり踊ったりするなど、故意に世間の人々が嫌がる奇行をして見せて、軽蔑や嘲笑を買い、誤解されることによって誤解した人の功徳を自身に移して蓄積しようという修行を行った[8][2]

現在はタミルナードゥを中心とする南インドでのみ信仰されている[1]

カーパーリカ派

カーパーリカ派(英語版)は、人間の髑髏を連ねて頭や首の飾りにするといった、独特の修行法を実践した[2]。解脱に至る道の系統としては超道に分類され、パシューパタ派から派生したラークラ派から生じた[9]。現在知られている最古のシヴァ派のひとつである[7]

アーガマ的シヴァ派

パーシュパタ派は8世紀にはカシミールに入り、パーシュパタ派から、アーガマ(英語版)と呼ばれる聖典に基づくシヴァ派であるアーガマ的シヴァ派が分派したと推定される[6]。アーガマ的シヴァ派から、神と個我とを、独立した別の存在であるとするか、根本的に同一であるとするかの解釈の違いによって、聖典シヴァ派とカシミール・シヴァ派の二つの派が分かれて行った[1]。アーガマ的シヴァ派のうち、二元論的なものを聖典シヴァ派、不二一元論的なものをカシミール・シヴァ派と呼ぶのが通例となっている[6]。両派が分離する前のアーガマ的シヴァ派についてはほとんどわかっていない[6]。カシミール・シヴァ派の伝承では、シヴァ神は不二論、二元論、不一不二論の3種の教えを伝えたとされる[10]

アーガマ的シヴァ派では、世界を構成する基本的な要素として、主(パティ、シヴァ神)・家畜(パシュ、個我)・索縄(パーシャ、個我を束縛するもの)の三つの原理をたてる[1][11]。シヴァ神は全知全能の永遠の精神的存在、個我は本来シヴァと等しい能力を持つ精神的存在であるが、索縄のためにその能力は覆われている[1]。索縄の根本的なものは「個我の汚れ」(アーナヴァ・マラ)と呼ばれる微細な物質的存在で、主はこうした個我の哀れな状態を見て、物質から成る個我の汚れを落すために物質から成る世界を創造する[1]。世界創造の原物質・根本的質量因であるマーヤーも物質的存在であり索縄の一つとされる[1][11](カルマ)も索縄のひとつだが、個我を世界に縛り付けるというインド思想一般で理解される働きと共に、個我の汚れを落すために必要な(洗濯のような)行為ともみなされており、個我は世界の中に繰り返し誕生し行為(カルマ)をなすことで個我の汚れの吸着力を減らしていき、個我の汚れの力が弱まった時点で、人間の師の姿をとったシヴァ神がディークシャー(英語版)灌頂[12])とよばれる儀礼を行い、個我の汚れを切り離す[1]。これにより個我は、その人生の死の際に完全に索縄から解放され、シヴァ神と等しい能力を取り戻し、解脱に達するとされる[1]

インドの宗教の研究者高島淳は、「不可解な苦しみの生存としてしか理解されていなかった世界の存在を、神の人間に対する恩恵の手段として捉え直したところに、この新しいシヴァ教の根本的な特徴がある。」と述べている[1]

アーガマ的シヴァ派は、南インドでは聖典シヴァ派として大寺院の儀礼を司り、北インドではタントラ的シヴァ派あるいはシャクータ派として、寺院儀礼、個人儀礼の中心的役割を果たしている[6]

聖典シヴァ派

聖典シヴァ派(英語版)(シャイヴァ・シッダーンタ、Śaivasiddhānta)は思想としては二元論であり[13]、解脱に至る道の系統としてはマントラ道(英語版)(Mantramārga)に分類される[7]。シヴァ神(主、パティ)・個我(家畜、パシュ)・マーヤ―(物質)(索縄、パーシャ)を実在とする[14]。パーシュパタ派のように個人の解脱のみを目指すのではなく、シヴァ神の恩恵により多くの人々の救済を目指した[1]

人間の個我は、自らの知や力等は有限であり、肉体が自己であると誤認しており、この状態が家畜と呼ばれる[11]。人間の個我は本来汚れなく清浄であるが、無知とと迷妄(マーヤー)によって輪廻の世界に縛り付けられており、シヴァ神の恩恵によって神通力(英語版)を得、解脱を得て、個我はシヴァ神と成ると考える[2][15]。これはシヴァ神と一体化することではなく、シヴァ神の境地に到達することであり、シヴァ神との「完全な類似」である[15]解脱を妨げる個我の汚れを物質的なものであるとみなし、そのため解脱には物質的操作を含む儀礼が必要とされる[13]

アーガマ(英語版)文献を聖典として基盤とし、特に南インドのタミル地方で栄えた[2][1]。このアーガマについては28部の根本アーガマのリストのみが知られ、その大部分は散逸したと思われていたが[1]、聖典シヴァ派が広まり根付いた南インドでは多く文献が現存している[7]

物質世界の開展については、シヴァ神は陶工、ろくろなどの道具はシャクティ(機会因)、世界創造の原物質・根本的質量因であるマーヤーは粘土であり、世界はシヴァ神によって作られた壺に喩えられる[11]。シャクティは純粋精神であるシヴァ神と物質とを媒介する原理であり、シヴァと同一性の関係にあるが、その力であり、シヴァという霊魂の肉体であると説かれる[11]

多くの聖者が知られており、特にアッパル(英語版)(7世紀)、ニャーナサンバンダル(英語版)(7世紀)、スンダラル(英語版)(8もしくは9世紀)が知られる[2]

チョーラ朝の王たちは同派の師達を強く後援しており、同派には王権の強化等を保証する多くの呪術的儀礼が存在した[1]

カシミール・シヴァ派

カシミール・シヴァ派(英語版)は、思想としては不二一元論であり[13]、解脱に至る道の系統としてはマントラ道(英語版)(Mantramārga)に分類される[7]。彼らは自らをトリカと称している[8]

個我を含むこの世界の全てはシヴァ神であるため、自らがシヴァ神であるという知によって解脱が生じ、この知が自然に生じるには非常に強いシヴァ神の恩恵が必要と考える[13]。解脱を妨げる個我の汚れは物質ではなく無知にすぎないとされる[13]。聖典シヴァ派と同じくアーガマ文献の権威を認め、両派の儀礼は外見的には似通っている[16]。特にカシミール地方を中心に栄えた[2]

9世紀にバスグプタ(英語版)が『シヴァ・スートラ(英語版)』を著し、ここから不二一元論の傾向が強まっていき、彼の弟子バッタ・カッラタ(英語版)ソーマーナンダ(英語版)によって神学的な基礎が形成された[2]

クラマ派(Krama)、クラ派(Kula, Kaula)、再認識派(プラティアビジュニャー、Pratyabhijñā)という3つの流派・系統がある[17]

後のシャークタ派(シャクティ派、性力派)的タントリズムに教理面・実践面共に最も大きな影響を与えた[16]

シャークタ派

詳細は「シャクティ派」を参照

リンガーヤタ派

リンガーヤタ派(英語版)(Liṅgāyata、ヴィーラ・シヴァ派(英語版)(Vīra-śaiva)[2])は、アーガマ的シヴァ派から分岐したと考えられる[6]。特にカルナータカ地方に広まった。シヴァ神の象徴であるリンガ(英語版)を常に身につけ、社会・宗教改革を目指し、バラモンの伝統を否定した[18]カーストを認めず、男女平等を主張し、寡婦の再婚を認め、偶像崇拝巡礼などの儀礼を否定した[2][8]

シヴァ派の中で、現代で最も熱心に信仰されている[6]

ラセーシュヴァラ派

ラセーシュヴァラ派(英語版)(Raseśvara、水銀派)は、水銀はシヴァ神とその妃との結合から生じた不老不死の霊薬であり、これを服用して身体を水銀所成にし、ヨーガを修することで、生前解脱できるとする[2]

ナート派

ナート派(英語版)(Natha, Nath。ナータ派とも)は、伝説的な開祖マツイェーンドラナータ(英語版)(マッツェーンドラナート)と弟子ゴーラクシャナータ(英語版)(ゴーラクナート)に始まると言われる[19]。密教、ヒンドゥー教、そして新しくインドに入ってきたイスラームの影響が混在した宗派である[20]

ナート派は8世紀以降に勃興し、この時期インドの宗教全体がタントリズム(密教)的色彩を帯びていった[21]左道的なインド密教(タントラ仏教)サハジャ乗(英語版)と密接な関係を持ち[22]、タントラ・ヨーガの行法は、仏教のシッダ(Siddha)達からナート派のヨーガ行者たちに継承され、その間にかなり変容した[23]

ゴーラクシャナータは、肉体的・生理的側面を強調するヨーガ行法ハタ・ヨーガの創始者とされ、7-15頃の人物で、11世紀頃という説が有力と考えられている[19][24]。番場裕之は、彼はシヴァ派の不二一元論の指導者であると述べている[25]。マツイェーンドラナータとゴーラクシャナータは改革者として登場し[19]、ゴーラクシャナータのものとされる語録によれば、彼は外面的な実修法を廃止し、ジャーティカースト)差別・奇妙な神格の崇拝を排除し、無執着、清浄、厳格な行為を説いた[23]。ナート派は中世インドで、北東や東部インドからほぼインド全域に広まり、北インドで非常に人気があった[26][27]

秘密ヨーガを修行する者たちはナータ(導師、主)と呼ばれ[21]、彼らは魔術的偉業をなしたことで知られ、治療師や魔術師扱いされることが多かった[28]。ナート派は大宇宙と小宇宙の照応の考えに基づき、生きたまま神と一体化することを目指し、死を克服するためにタントリズムやシャークタ派の実践を融合させている[27]

不死に至る非限定的な「自然生得」である究極の境地・神秘的な状態「サハジャ」(sahaja、倶生)に至ることが目指されており、それは経験可能な世界の本質であり、ヨーガ行者が最終的に会得し永続する状態である無限の歓喜であると考えられた[23]。二元が融合し、ヨーガ行者が「サハジャ・サマーディ」(sahaja-samadhi、自然三昧)において超越的な一者に到達したときに、「サハジャ」の境地が覚知される[29]。シヴァ神を最高神とし、ヨーガ行法によってシヴァ神との一体化を目指すという教理もみられる[28]。ナート派ヨーガ行者にとって「空(くう、Śūnyatā)」は「サハジャ」と同義であり、「空」には至高の真実在という意味と、個我がその真実在と合一できる「場」という意味がある[30]

サハジャ乗仏教徒シッダとナート派のヨーガ行者たちは中世インドのタントリズムの一部であり、彼らはバラモンの聖語であるサンスクリット語を嫌悪し、自分たちの教えを民衆語(西部アパブランシャ語の一形態か古ベンガル語)で説いていた[31]

ナート派を信仰する人びとはジョーギーと呼ばれ、現代では一つのカーストとみなされているが、その伝統的職業はシヴァ派の寺院の司祭から籠作り職人、物乞いまで様々で、社会的地位もかなり幅がある[26]

ナート派は、カビールバクティ文学に影響を与えた[32]

解脱に至る道の系統

超道

超道(Atimārga、アティマールガ)は、社会の外に身を置き、解脱(モクーシャ)のみに関心を持つ苦行者たちによるものである[7]。その主な実践は、瞑想への専心と肉体的な苦行(タパス)に焦点を当てていた[7]。超道を構成する一派は、現在知られているシヴァ派の中で最も古く、パーシュパタ派、ラークラ派(Lākula)、カーパーリカ派である[7]

ヴェーダ的伝統の中で、苦行者たちは苦行を行ってタパス(苦行の力)を蓄積することで神通力を獲得しようとしてきたが、タパスは消費されると行者はその力を失ってしまうというように、輪廻の内での力であった[33]。こうした苦行の伝統を引き継ぎながら、それを乗り越えようとした最初のムーブメントがパーシュパタ派に代表される超道だと考えられる[33]。現世的秩序を「越えた(ati)」道によって、浄不浄の対立を超克する「軽蔑の探求」のような技法によって、人格的絶対神と等しい力を得ようとすることが試みられた[33]

初期のシヴァ派の教えが主に対象としていたのは、世間を離れ、師につき修行を行うことのできる男性のみであった[1][7]。超道のグループの文献はほとんど残されていない(パーシュパタ派は根本経典が現存している)[7]。その実践について知られていることの多くは、マントラ道に引き継がれたものから来ている[7]

マントラ道

マントラ道(英語版)(Mantramārga、マントラマールガ)はタントラ的シヴァ派(Tāntrik Śaivism)と同義であり、アーガマ(英語版)と呼ばれる聖典に基づくシヴァ派であり、主に聖典シヴァ派(シャイヴァ・シッダーンタ)とカシミール・シヴァ派がある[7]

いくつかの儀式、図像、マントラが超道と共通しているが、世間を離れた修行者だけでなく(四住期における)家長(英語版)(grhasta)にも開かれている点、4つのカースト(ヴァルナ)と女性にも開かれている点が、超道と大きく異なる[7]。また、この道は解脱に焦点を当てているものの、神通力(siddhi)と快楽の享受(bhoga)も追求しており、解脱だけでなく現世利益的な目標も掲げる[7][9]。10-11世紀の一元論的なカシミール・シヴァ派は、そのような神通力と快楽の享受が、二元論的な心の概念を打ち破る方法であることを示そうとした[7]

聖典シヴァ派の伝統の様々なアーガマは二元論的であり、主に公共の寺院でのシヴァ神(通常はリンガ(英語版)の形のサダーシヴァ(英語版)(永遠のシヴァ神))礼拝の儀礼について述べており、他の神や女神たちの形態の礼拝の規定にも関連している[7]

聖典シヴァ派の文献がシヴァ崇拝の儀式について述べているのに対し、カシミール・シヴァ派の文献はシヴァ・シャクティという考えを持ち、それはより獰猛な形態である[7]。カシミール・シヴァ派は清教徒的な聖典シヴァ派と異なり、寺院でのシヴァ崇拝の儀礼には参加しなかったが、その代わりに超道の背景を利用し、火葬場での飲酒や肉食などの反道徳的行為を含む儀式を行っていた[7]。しかし、聖典シヴァ派とカシミール・シヴァ派は、包括的な儀式のシステム、神通力の追求、ヴェーダではなくアーガマへの信仰を共有しており、両者を別のシステムとして明確に区別することは難しい[7]

クラ道

クラ道(英語版)(Kulamārga、クラマールガ)は、マントラ道の一派と同様に、超道、特にカーパーリカ派の伝統に由来すると考えられ、従って反バラモン的・反清教徒的な実践を共有している[7][9]。そのアーガマはクラ・シャーストラとして知られる[7]。独自の儀礼形式をもつ点がマントラ道と大きく異なり、インド学者のアレクシス・サンダーソン(英語版)の見解によると、クラ道における独自の儀礼形式は,超道のカーパーリカ派から継承されたものである[9]

クラ・シャーストラは、バイラヴァ(英語版)シヴァ神の暗黒相)を伴うか否かに関わらず、女神信仰を中心とする[7]。10世紀までには、主にカシミール・シヴァ派のアビナヴァグプタ(英語版)タントラローカ(英語版)等の作品により、カシミール・シヴァ派(トリカ)の文献と実践はクラ道のものと密接に関連するようになった[7]。またクラ道は、超道に見られるマントラの使用を拡大し、音素、特に母音は、適切な朗誦と行使によって顕れる女神 (シャクティ) の様々な側面を表す[7]

アーガマ

インド全土の様々なシヴァ派とシャークタ派の教えを説いた膨大な文献群がシヴァ派アーガマ(シャイヴァ・アーガマ)と呼ばれている[7]。現在確認できる情報では、シヴァ派アーガマの正確な年代を特定することはできないが、最初の文献が6世紀以前に存在していたかは疑わしい(それ以前にシヴァ派が活発に活動していなかったという意味ではない[7])。紀元前2世紀頃のパタンジャリによるとされるパーニニの文法学の注釈書マハーバーシャ(英語版)で言及されているため、アーガマが書かれる以前には口伝の伝統があったと推定される[7]。10世紀から11世紀までに、手引書や注釈書などの他のシャーストラも含むシヴァ派の文献の数は飛躍的に増え、北はカシミールやネパールから南はタミルナードゥまで、南アジアの大部分に広がった[7]

膨大なシヴァ派アーガマの分析方法として、シヴァ派の文献は、シヴァ派の3つの主要な形態である超道、マントラ道、クラ道に分類することができる[7][9]

スルタン達とムガル帝国による度重なるインド侵略の後、シヴァ派は北インドから姿を消していった[7]。聖典シヴァ派をはじめとする集団は、多くの文献を携えて南下し、その経典や儀式の多くは南インドに残されている[7]。ネパールはイスラームの侵略を受けなかったため、カシミールに残った数少ないバラモンは、カシミール・シヴァ派の膨大な文献、経典、注釈を保持することができ、19世紀後半、西洋のインド学者がネパールとカシミールで多くの文献を発見した[7]。今日、アーガマやその他のシヴァ派の文献に関する研究は、ネパール・ドイツ写本目録プロジェクト(the Nepalese-German Manuscript Cataloguing Project)やフランス・ポンディシェリ研究所 (French Institute of Pondicherry、IFP) などの研究機関、アレクシス・サンダーソンなどの学者によって進められてる[7]

脚注・出典

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 高島 1994.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p シバ派とは - コトバンク/世界大百科事典
  3. ^ イーシュバラとは - コトバンク/世界大百科事典
  4. ^ アビナバグプタとは - コトバンク/世界大百科事典
  5. ^ 『パシュパティ』 - コトバンク
  6. ^ a b c d e f g 高島 1995, p. 66.
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag Milillo 2022.
  8. ^ a b c 北川 2000, p. 185.
  9. ^ a b c d e “【開催御礼】特別講座「The Tantric Transformation of India’s Religions during the Early Medieval Period」”. 大正大学 綜合仏教研究所. 2024年9月19日閲覧。
  10. ^ 高島 1989, p. 66.
  11. ^ a b c d e 北川 2000, pp. 186–187.
  12. ^ 『タントリズム』 - コトバンク
  13. ^ a b c d e 高島 1984, p. 14.
  14. ^ 北川 2000, p. 186.
  15. ^ a b 北川 2000, p. 187.
  16. ^ a b 高島 1984, p. 13.
  17. ^ 戸田 2007, p. 59.
  18. ^ “シヴァ派(シヴァは)”. HISTORIST 山川出版社. 2024年9月20日閲覧。
  19. ^ a b c 榊 2000, pp. 264–265.
  20. ^ イムラン 2013, p. 43.
  21. ^ a b 合田 2012, p. 29.
  22. ^ 榊 2000, p. 264.
  23. ^ a b c 橋本 2001, p. 114.
  24. ^ 番場 2007, pp. 136–137.
  25. ^ 番場 2007, p. 137.
  26. ^ a b 中野 2013, p. 20.
  27. ^ a b 番場 2007, p. 136.
  28. ^ a b 榊 2000, p. 265.
  29. ^ 橋本 2001, p. 113.
  30. ^ 橋本 2001, p. 103.
  31. ^ 橋本 2001, p. 118.
  32. ^ イムラン 2013, pp. 51–52.
  33. ^ a b c 高島 2020, p. 8.

参考文献

  • Joseph Milillo (2022). “Śaiva Āgamas”. In Jeffery D. Long, Rita D. Sherma, Pankaj Jain, Madhu Khanna. Hinduism and Tribal Religions. Springer. pp. 1366–1369. doi:10.1007/978-94-024-1188-1_280 
  • 高島淳「絶対者とヒンドゥー教」『RINDAS ワーキングペーパーシリーズ ヒンドゥー教とはなにか』第30巻、龍谷大学南アジア研究センター、2020年3月、1-14頁。 
  • 中野歩美「「移動民」をめぐる語りとカーストの形成に関する一考察 : インド・タール沙漠地域に暮らすジョーギーを対象として」『関西学院大学先端社会研究所紀要』第10巻、関西学院大学先端社会研究所、2013年10月、19-32頁、CRID 1522543656105131392。 
  • モハンマド・イムラン「文学面から見たヒンディー語の歴史」『専修大学日本語日本文学文化学会』第92巻、専修国文、2013年1月20日、19-72頁、CRID 1390009224826986240。 
  • 合田秀行「クンダリニー体験に関する諸相」『トランスパーソナル心理学/精神医学』第11巻、日本トランスパーソナル心理学/精神医学会、2012年、28-35頁、CRID 1390564238109774976。 
  • 戸田裕久「明知(vidya)と閃き(pratibha)-中世ヒンドゥー教哲学における一切智」『日本仏教学会年報』第73巻、日本仏教学会西部事務所、2007年、55-69頁、CRID 1522543656105131392。 
  • 番場裕之「『ゴーラクシャ・シャタカ』試訳(1)」『東洋学研究』第46巻、東洋大学東洋学研究所、2007年、290-278頁、CRID 1520009407405543808。 
  • 橋本泰元「カビールの言語について」『東洋学論叢』第26巻、東洋大学文学部、2001年3月、CRID 1050845763791679232。 
  • 榊和良「『甘露の水瓶(Amrtakunda)』とスーフィー修道法」『東洋文化研究所紀要』第139巻、東京大学東洋文化研究所、2000年3月、272-239頁、CRID 1390572174577775360。 
  • 北川清仁『インド思想: その経験と思索』自照社出版、2000年。 
  • 高島淳「最初期シヴァ教アーガマの思想 (I) : Svāyambhuva-āgama 知識部」『アジア・アフリカ言語文化研究』第48-49巻、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、1995年1月31日、65-80頁、CRID 1390014183332767488。 
  • 高島淳 著「シヴァ信仰の確立 -シャイヴァ・シッダーンタと南インド-」、辛島昇 編『ドラヴィダの世界 - インド入門II』東京大学出版会、1994年。http://www.aa.tufs.ac.jp/~tjun/articles/henyou6_frame.html 
  • 高島淳「初期シヴァ教僧院(maṭha)の歴史-8~13世紀」『南アジア研究』第1巻、1989年、41-59頁。 
  • 高島淳「Tantralokaにおけるdiksa : カシミール・シヴァ派におけるイニシエイション儀礼」『東京大学宗教学年報』第1巻、東京大学文学部宗教学研究室、1984年2月21日、13-26頁、CRID 1390572174554187776。 

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、シヴァに関連するカテゴリがあります。
基本教義
宗派
人物
哲学
聖典
ヴェーダ
分類
ウパニシャッド
ウパヴェーダ
ヴェーダーンガ

シクシャー - カルパ(英語版) - ヴィヤーカラナ - ニルクタ - チャンダス - ジヨーティシャ

その他
プラーナ文献
法典・律法経
神々・英雄
デーヴァ
(男性神)
トリムルティ
デーヴィー
(女性神)
トリデーヴィー
マハーヴィディヤー

アディ・パラシャクティ - サティー - ドゥルガー - シャクティ - シーター - ラーダー - 他

リシ
サプタルシ

マリーチ - アトリ - アンギラス - ブリグ - ガウタマなど

修行法
地域
社会・生活
文化・芸術
  • ポータル ポータル
  • カテゴリ カテゴリ
典拠管理データベース: 国立図書館 ウィキデータを編集
  • フランス
  • BnF data
  • ドイツ
  • イスラエル
  • アメリカ
  • チェコ