セルゲイ・ショイグ
セルゲイ・ショイグ Сергей Шойгу | |
---|---|
2014年6月7日 | |
生年月日 | (1955-05-21) 1955年5月21日(69歳) |
出生地 | ソビエト連邦 トゥヴァ自治ソビエト社会主義共和国 チャダーナ |
出身校 | クラスノヤルスク工業大学 |
前職 | 建築技師 職長 管理人 |
所属政党 | ソビエト連邦共産党( - 1991年) 独立系(1991年 - 1995年) 我が家ロシア(1995年 - 1999年) 統一(1999年 - 2001年) 統一ロシア(2001年 - ) |
称号 | 経済学準博士 上級大将 ロシア連邦英雄 |
配偶者 | イリーナ・ショイグ |
子女 | 2人 |
サイン | |
在任期間 | 2024年5月12日 - 現職 |
大統領 | ウラジーミル・プーチン |
内閣 | ドミートリー・メドヴェージェフ内閣 ミハイル・ミシュスティン内閣 |
在任期間 | 2012年11月6日 - 2024年5月12日 |
大統領 | ウラジーミル・プーチン |
第3代 モスクワ州知事 | |
在任期間 | 2012年5月11日 - 2012年11月6日 |
副知事 | ルスラン・ツァリコフ |
内閣 | ヴィクトル・チェルノムイルジン内閣 セルゲイ・キリエンコ内閣 エフゲニー・プリマコフ内閣 セルゲイ・ステパーシン内閣 第1次ウラジーミル・プーチン内閣 ミハイル・カシヤノフ内閣 第1次ミハイル・フラトコフ内閣 第2次ミハイル・フラトコフ内閣 ヴィクトル・ズプコフ内閣 第2次ウラジーミル・プーチン内閣 |
在任期間 | 1994年1月20日 - 2012年5月11日 |
大統領 | ボリス・エリツィン ウラジーミル・プーチン ドミートリー・メドヴェージェフ |
内閣 | ボリス・エリツィン内閣 ガイダル内閣(ガイダルは首相代行) ヴィクトル・チェルノムイルジン内閣 |
在任期間 | 1991年4月17日 - 1994年1月20日 |
大統領 | ボリス・エリツィン |
テンプレートを表示 |
セルゲイ・クジュゲトヴィチ・ショイグ(ロシア語: Серге́й Кужуге́тович Шойгу́, ラテン文字転写: Sergei Kuzhugetovich Shoigu、トゥバ語: Сергей Күжүгет оглу Шойгу、1955年5月21日 - )は、ロシアの政治家。非常事態相、モスクワ州知事、国防大臣を歴任。2024年より安全保障会議書記を務めている。少数民族のトゥバ人出身。2024年6月25日よりウクライナの電力インフラを攻撃した戦争犯罪の容疑で、国際刑事裁判所(ICC)から逮捕状が出されている[1]。
経歴
1955年5月21日、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のトゥヴァ自治州チャダーナ市(ロシア語版)にてトゥバ人の父とウクライナ出身のロシア人の母との間に生まれる。父のクズゲットは、トゥヴァ地方紙の編集者を務め、後にソ連共産党トゥヴァ地方委員会書記、トゥヴァ・ソビエト自治共和国閣僚評議会第一副議長の職を歴任した。1960年、ショイグはウクライナ・ソビエト共和国ルハンシク州カディエフカ(ウクライナ語版)の教会でキリスト教正教会の洗礼を受ける[2]。しかしショイグの娘のクセニヤ・ショイグ(ロシア語版)によれば、彼は宗教的には仏教の伝統を尊重しているという[3]。1962年から1972年までは地元の学校で学び、1972年にはクラスノヤルスク工業大学(ロシア語版)に入学し、建築学を専攻する。土木技師の資格を習得し、同校を卒業した[4]。なお、ショイグはその後ロシア国防大臣の職につき、上級大将まで昇進するが、兵役には就いていない[5]。
初期のキャリア
1977年にクラスノヤルスク工業大学を卒業後、シベリアの各都市の企業合同体に勤め、建築技師や職長、管理人などを歴任する。1988年に党アバカン市委員会第二書記、1989年に党クラスノヤルスク地方委員会監察官、1990年に、シベリアからモスクワに移り住んだショイグは、父親のコネでロシア連邦共和国国家建築・建設委員会副議長を歴任する。後に大統領となるボリス・エリツィンも建設委員会で同様の役職に就いており、同じ土木工学の出身だったため、ショイグはエリツィンの信頼を得た。
ロシア非常事態省大臣(1991年 - 2012年)
1991年、エリツィンはショイグを新設されたロシア救助隊の隊長に任命し、救助と災害対応システムの責任者とした。民間防衛隊は、それまでのソ連の民間防衛システムに取って代わり、国防省の管轄下に置かれた総勢2万人の民間防衛部隊を吸収し、1991年4月、ロシア民間防衛問題・非常事態・自然災害復旧省初代議長に就任した。非常事態省内の民間防衛隊は、ソ連の慣行を引き継ぐ準軍事組織であり、1992年にロシアが支援するアフガニスタンのムハンマド・ナジーブッラー大統領の避難を試み、1993年10月のクーデター(モスクワ動乱事件)の際には、民間防衛隊の武器庫からエリツィン支持者に武器を配布しようとするなど、ショイグは政治的に関与した。ロシア民間防衛隊の軍事化に伴い、ショイグは1993年に少将の階級を受け、1995年に中将、1998年に大将、2003年に上級大将に昇進した。議長に就任した皮切りに、同年12月のソビエト連邦の崩壊後は非常事態・災害復旧のプロフェッショナルとして新生ロシアの危機管理の面で力を振るう事となり、1994年1月には非常事態相に就任する。洪水、地震、テロなどの緊急事態に際して、ショイグはその実務的な管理スタイルと高い知名度で人気を博した。ショイグの下、同省は拡大され、2002年にはロシア国家消防局(ロシア語版)を引き継ぎ、非常事態省はロシアで3番目に大きな組織となった。
1996年には安全保障会議議員、核兵器委員会委員、1997年には非常事態予防・除去省庁間委員会議長なども兼務する。
1999年の国家院選挙前にエリツィン大統領の指令を受けて結成された政権与党である「統一」の党首に選出され、勝利を収めた。祖国・全ロシアと合流した統一ロシア設立後はミンチメル・シャイミーエフやユーリ・ルシコフと共に党最高会議共同議長(党首)を務めた[6]。プーチン大統領を経て、メドヴェージェフ大統領就任後も引き続き非常事態相を務めた。また同年、ショイグはロシアの最高位国家勲章である「ロシア連邦英雄」の受勲を受けた[7]。
2009年3月には、第二次世界大戦中のソ連軍の戦術に対する批判を犯罪とする法律を提案した。
2011年3月11日の東日本大震災ではメドヴェージェフ大統領の指示で援助隊を組織した。同年7月に原田親仁駐ロシア連邦大使と会談し、日露両国が共同で災害対応体制に関する整備が必要との考えを示した[8]。
モスクワ州知事(2012年)
緊急事態大臣を20年以上務めたショイグは、ウ 2012年3月にはモスクワ州知事に立候補し[9]、ウラジーミル・プーチンと親密な関係を築き、その甲斐あって 2012年4月5日州議会によって選出され、2012年5月11日に正式にモスクワ州知事として就任した。
国防大臣(2012年 - 2024年)
2012年11月6日、資産売却の汚職事件に関与して解任されたセルジュコフの後任として国防相に就任[10]。軍人として一切の経験が無い中、国民からの人気が高く、非常事態省の手腕を買われた異例の大抜擢となった[11]。就任後はロシア軍の近代化と専門性を高める改革に着手した[11][12]。また、ウクライナ騒乱やシリア内戦では軍事介入を担当し、2014年のクリミア併合の立役者と称されており[13]、参謀本部情報総局(GRU)も従属機関としているため、2018年、イギリスのソールズベリーで発生した神経毒ノビチョクを使用したセルゲイ・スクリパリ毒殺未遂事件や2020年のアレクセイ・ナワリヌイ毒殺未遂事件に関っているとされ西側から批難されている[13]。
2018年9月に中国・モンゴルが初めて参加してソビエト連邦最大の軍事演習「ザーパド81」を超える規模となったロシア史上最大の軍事演習「ボストーク2018(ロシア語版)」を極東ロシアで実施し[14]、これに当たってショイグはモンゴルと中国を「同盟国」と呼んで注目され[15]、視察に訪れた中国の魏鳳和国務委員兼国防部長との会談で、定期的に中国とロシアは同様の演習を実施することで一致した[16]。
基本的にはプーチンの従順なイエスマンと見られている[17]。2022年ロシアのウクライナ侵攻以前はプーチンに次ぐ人気を誇る政治家であり、後継候補の最有力者とも目されていたが開戦後は失態を繰り返し評判を大きく落とした[18]。軍事作戦を指揮する立場であるにもかかわらず、3月11日から同26日に政府高官らとの会合に姿を見せるまで2週間以上も公の場に姿を現さず様々な憶測を呼ぶこととなった[19][20]。Noticias del Mundo、mirrorなどいくつかのメディアにより、心臓発作による入院であるとも報じられているが、クレムリンは認めていない[21][22][23]。更迭や逮捕の噂が流されるほど評判は芳しくない[18]。
ウクライナ侵攻に参加した元ロシア兵の証言では、「国民の9割が軍経験がないことを笑っている」と揶揄された[24]。
2024年5月8日にプーチン政権が5期目に突入し、ショイグは国防相を退任し安全保障会議書記に転じた[25]。
なお、ショイグの国防相退任後、側近だったティムール・イワノフ(英語版)、パべル・ポポフ(英語版)両国防次官を初め、国防省人事総局長や軍参謀次長、レニングラード軍管区副司令官など軍高官らが相次ぎ汚職の疑いで身柄を拘束されており、「ショイグ派」の追い落としが行われているとみられる[26][27][28][29][30]。
制裁
欧州連合は、EU規則(No 269/2014)の規制対象リストにショイグの名を追加し[31]、アメリカではSDNリストに対象者として追加された[32]。日本では2022年3月1日、ロシアのウクライナ侵攻に伴う制裁の一環で日本国政府より資産凍結の対象者に指定されている[33]。
人物
ショイグは母語であるトゥバ語とロシア語のほか、英語、日本語、中国語、トルコ語を含む9つの言語を流暢に扱うことで知られる[34]。
家族
セルゲイ・ショイグはソヴェトの政治家である父のクジュゲト・セレエビッチ・ショイグ(ロシア語版)(Кужугет Серээвич Шойгу 1921年–2010年)と[35]、畜産学を習得し、トゥヴァ共和国から農業の名誉労働者として表彰された母のアレクサンドラ・ヤコブレブナ・ショイグ(旧姓:クドリャフツェワ 1924年–2011年)の間に3人兄妹の長男として生誕する。父であるクジュゲトは地元新聞社の編集員として働いており、後にソビエト連邦共産党員としてソビエト当局に従事し、トゥヴァ自治ソビエト社会主義共和国のテュルク党員会の書記を務め、副議長の地位をもって引退した。
ショイグには姉で下院議員であったラリサ・クジュゲトブナ・ショイグ(英語版)(Шойгу, Лариса Кужугетовна 1953年–2021年)と妹で精神科医を務めるイリーナ・クジュゲトブナ・ザハーロワ(旧姓:ショイグ 1960年-)の兄妹がいる[36]。
ツーリスト会社「Expo-EM」で社長を務めるエレナ・アレクサンドロブナ・ショイグ(旧姓:アンチピナ)と結婚しており、2人の子女となるユリア[37](1977年-)とクセニア[37](1991年-)が誕生している。ロシアの政治活動家アレクセイ・ナワリヌイによれば、モスクワ郊外の宮殿をクセニア名義で所有しているとされており、その価値は1,200万ポンドである。2012年、不動産はエレナ・アンチピナ名義として正式に譲渡された[38]。
趣味
ショイグは、アレクサンドル1世(1812年-1825年)時代の「1812年ロシア戦役」と「デカブリストの乱」の研究を趣味としている[39]。
スポーツ好きとしても知られ、プロアイスホッケーチームであるHC CSKAモスクワと、プロサッカーチームFCスパルタク・モスクワのファンである。2016年3月、ショイグはセルゲイ・ラブロフとともに、ロシア全土からのスポーツのファンを団結させることを目的とした、ロシア・セカンドディビジョンの設立を行っている。
このほかインド、中国、日本の刀や短剣収集も趣味としており、ギター演奏と吟遊詩人時代の歌を楽しむ。水彩画を描き[34]、古い木片の収集にも興じており、その木片コレクションをプーチンに対し披露している[40]。
宗教
仏教ないしシャーマニズムのどちらかの修行者であるという噂があるが、2008年、53歳のときにロシア正教会で洗礼を受けたと述べている[41]。
脚注
出典
- ^ “ロシアの前国防相と参謀総長にICCが逮捕状、ウクライナで戦争犯罪”. Bloomberg.com (2024年6月25日). 2024年6月27日閲覧。
- ^ “Шойгу рассказал о своих украинских корнях”. www.mk.ru. 2019年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月22日閲覧。
- ^ Шойгу, Ксения Сергеевна (2023年4月28日). “Дочь Шойгу рассказала, что ее отец верит в Бога”. РИА Новости. 2024年6月1日閲覧。
- ^ “Министр обороны”. Министерство обороны Российской Федерации. 2015年12月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月23日閲覧。
- ^ Евгений Шарапов (2022年5月25日). “Кто из руководства РФ не служил в армии?”. Aussiedlerbote. 2023年9月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月2日閲覧。
- ^ ПОЛИТ.РУ \ НОВОСТИ \ Съезд центристов избрал Генеральный совет «Единства и Отечества» и призвал россиян вступать в ряды новой партии.
- ^ “Указ Президента Российской Федерации от 20.09.1999 г. No. 1249” (ロシア語). Президент России. 5 November 2022閲覧。
- ^ (日本語) “ショイグ非常事態相 日本に 共同での非常事態対応を提案”. ロシアの声 (2011年7月1日). 2011年9月29日閲覧。
- ^ Shoigu Tipped as Next Moscow Region Governor, The Moscow Times.
- ^ “Putin Sacks Defense Minister Serdyukov”. RIA Novosti. (2012年11月6日). http://en.ria.ru/russia/20121106/177221338.html 2012年11月6日閲覧。
- ^ a b “ウクライナ短期戦失敗、露国防相に泥沼化のツケ”. WSJ (2022年3月8日). 2022年3月20日閲覧。
- ^ “国防省が示したロシア軍の強化”. ロシア・ビヨンド (2013年9月24日). 2022年3月20日閲覧。
- ^ a b “プーチン大統領の側近たち この戦争はどういう顔ぶれが遂行しているのか”. BBC (2022年3月5日). 2022年3月20日閲覧。
- ^ “ロシア、「同国史上最大」の軍事演習を開始 中国軍も参加”. AFPBB. (2018年9月11日). https://www.afpbb.com/articles/-/3189254 2018年9月11日閲覧。
- ^ “ロシア、9月に軍事演習 極東で過去最大 中国も参加”. 日本経済新聞. (2018年8月28日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3473295029082018FF8000/ 2018年9月11日閲覧。
- ^ “ロシア大統領、軍事演習視察 中国国防相らと”. 日本経済新聞 (2018年9月13日). 2019年9月21日閲覧。
- ^ “苦戦するロシア軍 ある司令官の死で露呈した通信システムの脆弱(ぜいじゃく)さ”. テレビ朝日 (2022年3月17日). 2022年3月20日閲覧。
- ^ a b “メドベージェフは後継本命から後退...プーチンが絶大な信頼を置く「影の実力者」とは”. ニューズウィーク. (2022年10月19日). https://www.newsweekjapan.jp/sam/2022/10/7_5.php 2022年10月19日閲覧。
- ^ “ショイグ国防相はどこに?戦争中にトップ不在の異常事態”. ニューズウィーク. (2022年3月24日). https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/03/post-98370.php 2022年3月25日閲覧。
- ^ “ロシア国防相、2週間ぶりに姿確認 安保会合に出席”. ロイター. (2022年3月25日). https://jp.reuters.com/article/ukraine-crisis-minister-idJPKCN2LM0I6 2022年3月27日閲覧。
- ^ “Ministro de Defensa ruso, Sergei Shoigu, desaparece 'con problemas cardíacos'” (スペイン語). Noticias del Mundo en español (2022年3月23日). 2022年3月26日閲覧。
- ^ Stewart, Will (2022年3月23日). “Mystery as Putin's defence minister 'vanishes with heart problems' as war stalls” (英語). mirror. 2022年3月26日閲覧。
- ^ “Where Is The Russian Defense Minister?” (英語). Al Bawaba(2022年3月24日). 2022年3月26日閲覧。
- ^ “「軍の大半はプーチンを嫌っている」ウクライナ侵攻に参加したロシア兵が覚悟の証言 単独インタビューで語った“ロシア軍の実態””. TBS. 2022年10月22日閲覧。
- ^ “ロシアのショイグ国防相の交代、プーチン氏が提案 後任に経済学者のベロウソフ氏”. BBC News. BBC. (2024年5月13日). https://www.bbc.com/japanese/articles/ceve99d48dqo 2024年5月14日閲覧。
- ^ “ロシア、国防次官を収賄容疑で拘束 ショイグ国防相の側近”. ロイター. (2024年4月24日). https://jp.reuters.com/world/ukraine/WBMSLIVNZBJCNA5ARQJQCKLYSQ-2024-04-24/ 2024年9月7日閲覧。
- ^ “露当局、国防省人事部門トップの中将を拘束 タス通信報道”. 産経新聞. (2024年5月14日). https://www.sankei.com/article/20240514-KAP7LCM7AZJEBBZYCAW35CHOWY/ 2024年9月7日閲覧。
- ^ “ロシア軍参謀次長、収賄容疑で逮捕 高官の拘束相次ぐ”. ロイター. (2024年5月24日). https://jp.reuters.com/world/ukraine/ZQZJOASCC5LSFA5HSBNMIUSZVI-2024-05-24/ 2024年9月7日閲覧。
- ^ “前国防相側近また拘束 「ショイグ派」追い落とし―ロシア”. 時事通信. (2024年8月30日). https://www.jiji.com/sp/article?k=2024083000237 2024年9月7日閲覧。
- ^ “ロシア軍副司令官、収賄容疑で拘束 「前国防相派」の粛清止まらず”. 朝日新聞. (2024年9月2日). https://www.asahi.com/sp/articles/ASS924H85S92UHBI02BM.html 2024年9月7日閲覧。
- ^ “EUR-Lex - L:2022:042I:TOC - EN”. EU. 2022年3月20日閲覧。
- ^ “Russia-related Designations”. アメリカ合衆国財務省 (2022年2月5日). 2022年3月20日閲覧。
- ^ 『官報』号外特第18号2頁 令和4年3月1日 外務省告示第81号
- ^ a b “Rare pictures show Defence Minister relaxing with one of his many hobbies”. The Siberian Times (2016年7月17日). 2022年3月10日閲覧。
- ^ “Государственный деятель Тувы Кужугет Шойгу похоронен в Москве”. Тува-Онлайн (2010年12月3日). 2022年3月10日閲覧。
- ^ “Чем занимаются жены и дети чиновников России”. Republic. 2022年3月10日閲覧。
- ^ a b “Родня во власти”. Slon.ru (2016年12月25日). 2022年3月10日閲覧。
- ^ “Russia's defence minister 'secretly builds £12 million palace', say campaigners”. The Daily Telegraph (2016年12月25日). 2022年3月10日閲覧。
- ^ “ШойгуСергейКужугетович”. Ria.ru (2016年12月25日). 2022年3月10日閲覧。
- ^ “Константин Ремчуков: Герой России Сергей Шойгу”. Независимая газета (2015年5月21日). 2022年3月10日閲覧。
- ^ “Shoigu at 60: The Man Who Would Be Russia's King?”. The Moscow Times (2015年5月21日). 2022年3月10日閲覧。
外部リンク
- セルゲイ・ショイグ - ウェイバックマシン(2004年12月13日アーカイブ分)(日本語)
公職 | ||
---|---|---|
先代 ニコライ・パトルシェフ | 安全保障会議書記 第13代:2024年5月12日 - | 次代 現職 |
先代 アナトーリー・セルジュコフ | 国防大臣 第6代:2012年11月6日 - 2024年5月12日 | 次代 アンドレイ・ベロウソフ |
先代 (新設) | 民間防衛問題・非常事態・自然災害復旧相 初代:1994年1月20日 - 2012年5月11日 | 次代 ウラジーミル・プチコフ |
先代 ボリス・グロモフ | モスクワ州知事 第3代:2012年5月11日 - 2012年11月6日 | 次代 ルスラン・ツァリコフ(ロシア語版) (代行) |