チャン・バン・フォン
チャン・バン・フォン Trần Văn Hương 陳文香 | |
チャン・バン・フォン(1970年撮影) | |
任期 | 1975年4月21日 – 1975年4月28日 |
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首相 | グエン・バ・カン(英語版) |
任期 | 1971年10月31日 – 1975年4月21日 |
大統領 | グエン・バン・チュー |
首相 | チャン・ティエン・キエム(英語版) |
任期 | 1964年11月4日 – 1965年1月27日 1968年5月25日 – 1969年8月20日 |
国家元首 | ファン・カク・スー グエン・バン・チュー |
出生 | 1902年12月1日 フランス領インドシナ連邦 コーチシナ ヴィンロン省チャウタイン県 |
死去 | (1982-01-27) 1982年1月27日(79歳没) ベトナム ホーチミン市 |
政党 | ルネサンス党 (1953年 - 1963年) 無所属 (1963年 - 1971年) 国家社会民主戦線(英語版) (1971年 - 1975年) |
宗教 | 仏教 |
署名 |
チャン・バン・フォン(陳 文香、ベトナム語:Trần Văn Hương / 陳文香[1]、1902年12月1日 - 1982年1月27日)は、南ベトナム(ベトナム共和国)の政治家。首相職と大統領職を歴任した[2]。
経歴
メコン・デルタビンロン省の貧農の家庭に生まれ教師を長く勤めた。1954年にサイゴン市長に選出されるも、1960年にゴ・ジン・ジェム政権批判の容疑で逮捕・投獄される。
二度の首相就任と副大統領への就任
ジェム政権崩壊後の1964年にサイゴン市長に復帰。11月にはグエン・カーンの慫慂によって首相に就任するが、1965年1月にグエン・カーンがグエン・バン・チューやグエン・カオ・キら少壮将校のクーデターで失脚すると、国家元首のファン・カク・スーによって首相を罷免される。
1967年の大統領選には、軍部の厚い支持を受けたグエン・バン・チューとグエン・カオ・キに対抗する形で出馬するも敗北。一時は野党的立場で活動するが、グエン・カオ・キ副大統領の勢力伸長を恐れたグエン・バン・チューによって1968年5月に再度首相に指名。1969年9月まで務めた後、1971年10月にはグエン・カオ・キに代わって副大統領になった。
大統領就任
サイゴン陥落直前の1975年4月21日、グエン・バン・チューは大統領職を辞任し、チャン・バン・フォンにその座を明け渡した。チャン・バン・フォンはグエン・バン・チューを中華民国(台湾)に出国させ、北ベトナム(ベトナム民主共和国)との和平会談を求めたが停戦を実現することは叶わなかった。
辞任
大統領就任からわずか一週間後の4月28日、解放戦線側のチュー政権関係者排除要求により、チャン・バン・フォンは大統領を辞任し、ベトナム共和国の降伏活動を管轄していたズオン・バン・ミン司令官に大統領職を引き渡した。直後のサイゴン陥落に際しても亡命せず残留する。その後は自宅軟禁下に置かれ余生を送った。
脚注
関連項目
外部リンク
- ウィキメディア・コモンズには、チャン・バン・フォンに関するカテゴリがあります。
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ベトナムの国家元首(1945年以降) | |
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ベトナム国国長 |
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ベトナム共和国大統領 | |
南ベトナム共和国顧問評議会議長 |
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ベトナム民主共和国国家主席 |
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ベトナム社会主義共和国 国家主席 |
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暫:暫定指導委員会 代:代理 |
ベトナムの首相・政府の長(1945年以降) | |
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ベトナム帝国 内閣総長 (1945年) | |
コーチシナ自治共和国 首相 / 大統領 (1946年 - 1948年) |
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ベトナム暫定中央政府(英語版) 首相 (1948年 - 1949年) | |
ベトナム国 首相 (1949年 - 1955年) |
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ベトナム共和国 首相 (1955年 - 1975年) |
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南ベトナム共和国 政府主席 (1969年 - 1976年) | |
ベトナム民主共和国 政府主席 / 首相 (1945年 - 1976年) | |
ベトナム社会主義共和国 閣僚評議会議長 / 政府首相 (1976年 - ) | |
代:代理 注1:ベトナム暫定中央政府副首相を兼任。 カテゴリ |