ラブアン総督(ラブアンそうとく)は、イギリス統治下にあったラブアン直轄植民地の長として置かれた行政責任者。
1848年から1890年まではロンドンの英国政府により任命されたが、ラブアン植民地政庁が北ボルネオ会社監督下に移った1890年から海峡植民地に編入されることが決まった1906年(編入は翌1907年)までの間、北ボルネオ会社により任命された。
歴代総督(英国政府による任命)
歴代総督(北ボルネオ会社による任命)
歴代総督(海峡植民地総督による兼任)
氏名 | 就任 | 退任 |
ジョン・アンダーソン(英語版) | 1906年 | 1911年 |
アーサー・ヤング(英語版) | 1911年 | 1920年 |
ローレンス・ギルマード(英語版) | 1920年 | 1927年 |
ヒュー・クリフォード(再任) | 1927年 | 1929年 |
ジョン・スコット(英語版) | 1929年 | 1930年 |
セシル・クレメンティ(英語版) | 1930年 | 1934年 |
シェントン・トーマス(英語版) | 1934年 | 1941年 |
日本による占領にともなう中断 |
シェントン・トーマス(日本による占領終了後、復帰) | 1945年 | 1946年 |
参考資料
- "Malaysia States and Territories", WORLD STATESMAN.org (英語). 2024年5月22日閲覧。