ルーカス・クラナッハ
ルーカス・クラナッハ(父) Lucas Cranach der Ältere | |
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77歳の時の自画像 | |
生誕 | Lucas Maler 1472年10月4日 神聖ローマ帝国、クローナハ |
死没 | (1553-10-16) 1553年10月16日(81歳没) 神聖ローマ帝国、ヴァイマル |
著名な実績 | 絵画 |
運動・動向 | ドイツルネッサンス |
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ルーカス・クラナッハ(Lucas Cranach der Ältere、1472年10月4日 - 1553年10月16日)は、ルネサンス期のドイツの画家。同名の息子も画家であるため、ルーカス・クラナッハ (父) と表記されることが多い。クラナハ、クラーナハとも表記される。
略歴
現在のドイツ、バイエルン州のクローナハで生まれた。父親は「画家のハンス(Hans Maler)」と呼ばれる無名な画家とされ、ルーカス・クラナッハの修行時代のことは殆ど知られていないが、父親の工房で絵を学んだと考えられている。各地を旅した後、1501年ころウィーンで活動するようになり、生まれ故郷のクローナハから、クラナッハという名前を作品に署名するようになった。1505年にザクセン選帝侯フリードリヒ3世にヴァイマルに招かれ[1]、1508年には、貴族の称号を得た。その年オランダを旅した。多くの助手を擁する工房を経営し、多くの出版も行った。ヴィッテンベルクに工房を構え、フリードリヒ3世に御用絵師として仕えた。
1508年以前に、彼はアルブレヒト・デューラーやハンス・ブルクマイアーらと競いながら、ヴィッテンベルクにあるCastle Churchの数多くの祭壇画を描いていた。
主に宗教画で多数の作品を残したほか、同時代人の宗教改革者マルティン・ルターの友人であったため、彼とその家族の肖像画を多く残している[2]。クラナッハの描く、腰の細くくびれた(当時としては)独特なプロポーションのヴィーナス像は、ティツィアーノやジョルジョーネのヴィーナスとはまた異なった、独特の官能美をかもし出している。
代表作
- 『老人と若い女』 (1489年)ベンベルグ財団 (トゥールーズ)
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- 『サロメ 』(1510年頃)
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- 『聖母子』 (1512年頃)
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- 『アダムとイヴ』 (1520-1525年)
- 『アダムとイヴ』 (1526年)
- アダムとイヴ (1528年)
- 『マルティン・ルターの肖像の肖像』 (1529年)
- 『ホロフェルネスの首を持つユディト』 (1530年頃)
- 『アダムとイヴ』 (1530年)サン・カルロス国立美術館
- 『リンゴの木の下の聖母子』 (1530年)
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- 『三美神』 (1531年)
- 『ヴィーナス』 (1532年)
- 『メランコリア 』 (1532年)
- 『泉のニンフ』 (1537年以降)ナショナル・ギャラリー (ワシントン)
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- 『アンハルトのウォルフガング王子』 (1542年)
- 『若返りの泉』 (1546年)絵画館 (ベルリン)
脚注
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関連項目
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- 最後の晩餐 (クラナッハ)
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