九三式十三粍機銃
九三式十三粍機銃 | |
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米軍がテクニカルマニュアル用として撮影した写真。同レポートでは、「九三式13mm機関銃」となっている[1]。 | |
種類 | 高射機関砲(機銃) |
原開発国 | フランス |
運用史 | |
配備期間 | 1933-1945 |
配備先 | 大日本帝国海軍 |
関連戦争・紛争 | 日中戦争、第二次世界大戦 |
開発史 | |
製造業者 | 横須賀海軍工廠 |
諸元 | |
重量 | 215 kg(単装)[2] 340 kg(連装)[3] 1,200 kg(4連装)[4] |
要員数 | 3 名(単装)[2] 4 名(連装)[3] 8 名(4連装)[4] |
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砲弾 | 13.2×99mm弾(ロシア語版) |
仰角 | -5° - +85°(単装、連装)[2][3] -10° - +85°(4連装)[4] |
旋回角 | 360° |
初速 | 800 m/s [2] |
最大射程 | 最大射高4,150 m[2] |
装填方式 | 30発入り箱型弾倉 |
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九三式十三粍機銃(きゅうさんしきじゅうさんみりきじゅう)は、1933年(昭和8年、皇紀2593年)に大日本帝国海軍に制式採用された高射機関砲である。
概要
保式十三粍機銃の名で輸入した、仏オチキス製のオチキス13.2mm重機関銃(英語版)を九三式十三粍機銃として制式化し、1935年(昭和10年)頃から横須賀海軍工廠でライセンス製造を行なった[2]。 弾薬は13.2x96mm(ロシア語版)(オチキス規格)を国産化した九三式実包を用いた。
1930年代以降の改装で、性能が低い毘式四十粍機銃に代わる対空兵装として4連装機銃が換装された[4]ほか、重巡洋艦(一等巡洋艦)と戦艦には艦橋の対空機銃としてに連装機銃が1-2基[3]が搭載された。また、軽巡洋艦(二等巡洋艦)が竣工時に搭載していた三年式8cm高角砲の代替として、連装機銃が搭載された[5]。このうち、高角砲の代替で搭載された連装機銃は、1940年前後に同じくオチキス製の25mm高射機関砲を基にした 九六式25mm機銃に換装された。1944年(昭和19年)には対空能力増強のため、無数の九六式25mm機銃と共に再び搭載した艦もあった。これらは不足する25mm機銃を補完したが、軽量で小型だったことから駆逐艦などの小形艦艇にも搭載された[2]。また、地上設置式の要地防御用にも装備され、第二次世界大戦終結まで使われた。
なお、大日本帝国陸軍でも輸入したオチキス13.2mm重機関銃をホ式十三粍高射機関砲という名称で準制式化して使用した。そのため、写真や記録などでは、九三式十三粍機銃と混同されていることがある。また、大戦中には同じく13.2×96mm弾を使用する航空機銃として三式十三粍固定機銃を開発しているが、この機銃のベースはブローニングM2重機関銃である。
搭載艦
戦艦
- 大和型戦艦 - 連装2基(竣工時)[6]
- 長門 - 単装2基(1943年7月-1944年1月)[2]
- 扶桑型戦艦
- 扶桑 - 単装10基(1937-1942年、1944年7月-)[2]、4連装4基(1933年5月-1937年)[4]
- 山城 - 単装10基(1944年8月-)[2]
- 金剛型戦艦[4]
- 金剛 - 4連装2基(1934年?-1938年1月?)
- 比叡 - 4連装2基(1934年?-1940年1月?)
航空母艦
- 鳳翔 - 連装6基(1936年12月-)[3]
- 龍驤 - 4連装6基(1933年5月-)[4]
- 龍鳳 - 単装6基(1944年7月-)[2]
- 雲鷹 - 単装10基(1940年7月-)[2]
重巡洋艦
- 古鷹型重巡洋艦 - 連装2基(竣工時)[3]
- 青葉型重巡洋艦 - 4連装2基(1932年-1940年10月)[4]、連装2基(竣工時。青葉のみ1943年2月に25mm機銃に換装)[3]
- 妙高型重巡洋艦
- 妙高 - 4連装2基(1935年3月-1941年4月)[4]、連装2基(1941年4月-1943年6月)[3]
- 那智 - 4連装2基(1935年6月-1940年3月)[4]、連装2基(1940年3月-1943年5月)[3]
- 足柄 - 4連装2基(1935年2月-1940年6月)[4]、連装2基(1940年6月-1943年4月)[3]
- 羽黒 - 4連装2基(1935年6月-1939年12月)[4]、連装2基(1939年12月-1943年7月)[3]
- 高雄型重巡洋艦
- 高雄 - 4連装2基(1935年?-1939年8月)[4]、連装2基(1939年8月-1943年?)[3]
- 愛宕 - 4連装2基(1935年?-1939年10月)[4]、連装2基(1939年10月-1943年?)[3]
- 鳥海 - 4連装2基(1935年?-1943年?)[4]、単装2基(1944年7月-)[2]
- 摩耶 - 4連装2基(1935年?-1944年4月)[4]
- 最上型重巡洋艦[注 1] - 連装2基[3]
- 最上(1935年7月-1943年4月)
- 三隈(1935年8月-)
- 鈴谷(1937年10月-1943年?)
- 熊野(1937年12月-1943年?)
- 改鈴谷型重巡洋艦 - 連装2基[7](計画のみ)
- 八十島 - 単装8基(1938-1944年)
軽巡洋艦
- 天龍型軽巡洋艦 - 単装2基(1937年-1941年?[3]または1942年[8])
- 球磨型軽巡洋艦
- 多摩 - 連装2基(1934-1940年[3])、単装8基(あ号作戦以降、1944年8月-[2])[9][10]
- 北上 - 連装2基(1944年3月-)[3]
- 大井 - 連装2基(1944年3月-)[3]
- 木曾 - 連装1基(1962年12月-1944年8月)[3]、単装8基(1944年8月-)[2][11]
- 長良型軽巡洋艦
- 長良 - 4連装1基(1934年1月-1942年?)[4]、連装2基(1934年1月-1941年3月)後に1基(1942年5月-)[3]、単装8基(あ号作戦以降、1944年8月[2][12])
- 五十鈴 - 4連装1基(1934年2月-1942年?)[4]、連装2基(1934年2月-1939年2月)[3]
- 名取- 4連装1基(1932年9月-1942年?)[4]、連装2基(1932年9月-1940年4月)後に1基(1940年?-)[3]
- 由良 - 4連装1基(銃座のみ)[13]、連装2基(1934年1月-1938年)[3]
- 鬼怒 - 4連装1基(1934年8月-1942年?)[4]、連装2基(1934年8月-撤去時期不明)後に連装1基(1942年?)[3]
- 阿武隈 - 4連装1基(1934年-1942年5月)[4]、連装2基(1935年-1938年2月)後に1基(1942年5月-)[3]、単装8基(1944年6月)後に5基(1944年8月-)[2]
- 川内型軽巡洋艦 - 4連装1基(1932-1942年)[14]、連装2基(1933-1938年)[13]
- 夕張 - 連装1基(1933年[3]または1934年-1940年)[15]→2基(1941年までに)→4基(1942年1-4月)→2基(1942年4月-1943年)[16]
- 阿賀野型軽巡洋艦
- 阿賀野・能代 - 連装2基(竣工時のみ)[17]
- 香取型練習巡洋艦[注 2]
- 香椎 - 単装8基[2]
駆逐艦
- 神風型駆逐艦
- 神風 - 連装1基(1944年8月-)[3]
- 吹雪型駆逐艦
- 響 - 連装1基(1944年7月-)[3]
- 曙・潮 - 単装6基(1944年8月-)[2]
- 初春型駆逐艦 - 単装4基[2]
- 初春・若葉(1944年8月-)
- 初霜(1944年9月-)
- 白露型駆逐艦
- 海風 - 連装2基(1937年5月-)[3]
- 山風 - 連装2基(1937年6月-)[3]
- 江風 - 連装2基(1937年4月-)[3]
- 涼風 - 連装2基(1937年8月-)[3]
- 時雨 - 単装4基(1944年12月-)[2]
- 朝潮型駆逐艦
- 満潮 - 連装2基(1937年10月-1943年)[3]
- 朝雲 - 連装2基(1938年3月-1943年)[3]
- 山雲 - 連装2基(1938年1月-1943年)[3]
- 霞 - 単装4基(1944年9月-)[2]
- 陽炎型駆逐艦 - 単装4基[2]
- 不知火(1944年9月-)
- 雪風・野分(1944年8月-)
- 夕雲型駆逐艦
- 清霜 - 単装4基(1944年8月-)[2]
- 秋月型駆逐艦
- 初月 - 単装3基(1944年6月-)[2]
- 若月 - 単装3基(1944年8月-)[2]
- 島風 - 連装1基(1943年5月-1944年6月)[3]、単装1基(1944年6月-)[2]
- 松型駆逐艦
- 松 - 単装4基(1944年8月)[2]
海防艦
砲艦
- 安宅 - 連装2基(1937年-、1944年に連装2基を追加)[3]
- 鳥羽 - 連装1基(1942年-)[3]
- 勢多型砲艦 - 連装2基(1932年-)[3]
- 熱海型砲艦 - 連装1基(1937年-)[3]
水雷艇
- 千鳥型水雷艇
- 千鳥 - 単装8基(1944年8月-)[2]
敷設艦
- 厳島 - 連装2基(1935年-、1944年に連装1基を追加)[3]
- 沖島 - 連装2基(1936年9月-)[3]
急設網艦
- 白鷹 - 連装1基(1944年4月-)[3]
- 初鷹型急設網艦
- 若鷹 - 連装2基(1941年11月-)[3]
敷設艇
- 燕型敷設艇 - 単装1基(竣工時。燕のみ1944年11月に25mm機銃に換装)[2]
- 夏島型敷設艇 - 単装1基(竣工時。猿島のみ1944年8月に25mm機銃に換装)[2]
- 測天型敷設艇 - 連装1基(竣工時)[3]
- 平島型敷設艇 - 連装1基(竣工時。由利島のみ1944年8月にさらに1基を追加)[3]
- 網代 - 連装2基(竣工時)[3]
掃海艇
- 第十三号型掃海艇 - 連装1基(竣工時)[3]、単装2基(竣工時。第十五号掃海艇のみ1944年9月に25mm機銃に換装)[2]
- 第十七号型掃海艇 - 連装1基(第十七・十八号掃海艇のみ?。1936年1月-1944年)[3]、単装2基(竣工時)[2]
駆潜艇
- 第十三号型駆潜艇 - 連装1基(竣工時)[3]
- 第十七号・第十八号・第二十三号・第三十七号・第三十八号 - 単装2基(1944年11月-)[2]
輸送艦
運送艦
- 間宮 - 単装2基(1944年10月-[2])
- 杵埼型給糧艦 - 単装2基(1944年-)[2]
- 杵埼 - 連装1基(1940年9月-1944年?)[3]
- 早埼 - 連装1基(1942年8月-1944年?)[3]
- 白埼 - 連装1基(1943年1月-1944年?)[3]
- 荒埼 - 連装1基(1943年5月-1944年?)[3]
- 大瀬 - 連装1基(1944年)[3]、単装2基(1944年)[2]
- 樫野 - 連装2基(竣工時)[3]
- 宗谷 - 連装3基(1942-1945年)
その他艦艇
- 迅鯨型潜水母艦
- 大鯨 - 連装2基(1938年9月-)[2]
- 能登呂 - 連装2基(1944年8月-)[3]
- 波勝 - 連装2基(1943年11月-)[3]
脚注
出典
- ^ 米陸軍省・編、原完・訳、岩堂憲人・熊谷直・斎木伸生・監修『日本陸軍便覧 米陸軍テクニカル・マニュアル:1944』 光人社 1998年 ISBN 4-7698-0833-X P.225
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq 山本義秀・吉原幹也『日本海軍艦載兵器大図鑑』 KKベストセラーズ 2002年 ISBN 4-584-17088-6 P.134-135
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj 『日本海軍艦載兵器大図鑑』 P.136-137
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 『日本海軍艦載兵器大図鑑』 P.138-139
- ^ 梅野和夫「軽巡の対空兵装」 雑誌『丸』編集部 編『写真日本の軍艦 第8巻 軽巡I』光人社、1990年 ISBN 4-7698-0458-X
- ^ 「昭和15年10月3日、原図面第一号艦前部艦橋13mm連装機銃台構造」呉市海軍歴史資料館・編『呉市海軍歴史科学館図録 日本海軍艦艇写真集別巻 戦艦大和・武蔵』 ダイヤモンド社 2005年 ISBN 4-478-95054-7 117頁
- ^ 「重巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査」『昭和18年5月~6月 内令 2巻/昭和18年5月(6)』。Ref.C12070177700。 アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- ^ 解説・東清二/作図・石橋孝夫「図で見る軽巡『天龍・龍田』変遷史」 雑誌『丸』編集部 編『写真 日本の軍艦 第9巻 軽巡II』光人社、1990年4月 ISBN 4-7698-0459-8 P.16
- ^ 福井静夫『世界巡洋艦物語』福井静夫著作集第8巻、光人社、1994年 ISBN 4-7698-0656-6P.350,356
- ^ Lacroix, Eric; Linton Wells『Japanese Cruisers of the Pacific War』 Naval Institute Press 1997年 ISBN 0-87021-311-3 P.169・196-198・371
- ^ 『写真日本の軍艦 第8巻 軽巡I』 P.51
- ^ 『世界巡洋艦物語』 P.356
- ^ a b 『Japanese Cruisers of the Pacific War』P.168
- ^ 解説・東清二/作図・石橋孝夫「図で見る軽巡『川内型』変遷史」『写真日本の軍艦 第8巻 軽巡I』 P.96
- ^ 解説・東清二/作図・石橋孝夫「図で見る軽巡『大井・北上・夕張』変遷史」『写真日本の軍艦 第8巻 軽巡I』 P.115
- ^ 田村俊夫「軽巡「夕張」の戦時の兵装増強調査リポート」『帝国海軍 真実の艦艇史』 歴史群像 太平洋戦史シリーズ Vol.45、学習研究社、2004年5月。ISBN 4-05-603412-5 P.117-121
- ^ 『Japanese Cruisers of the Pacific War』P.168
登場作品
- 『艦つく -Warship Craft-』
- 装備可能な兵器の一つとして登場。
- 『ゴジラ-1.0』
- 主人公が乗っていた船「新生丸」に搭載されていた兵器として登場。
関連項目
第二次世界大戦期に使用された地上設置・車載・艦載型13mm級機関砲
- ブローニングM2重機関銃(アメリカ)
- DShK38重機関銃(ソビエト連邦)
- .50"/62ヴィッカース機関銃(イギリス)