伊達邦寧

曖昧さ回避 この項目では、江戸時代後期の登米伊達家の当主について説明しています。幕末から明治初期の水沢伊達家(留守氏)の当主については「留守邦寧」をご覧ください。
 
凡例
伊達邦寧
時代 江戸時代
生誕 文政4年(1821年
死没 天保14年3月22日(1843年4月21日
別名 雄三郎、安三郎、式部
墓所 養雲寺(宮城県登米市
主君 伊達斉邦慶邦
仙台藩
氏族 伊達氏
父母 父:伊達宗充
兄弟 斉邦邦寧、大立目充宣
子:邦教
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伊達 邦寧(だて くにやす)は、江戸時代後期の仙台藩一門第五席・登米伊達家第12代当主。

生涯

文政4年(1821年)、登米伊達家第11代当主・伊達宗充の子として生まれる。幼名は雄三郎

文政10年(1827年)1月25日、兄の幸五郎(斉邦)が藩主伊達斉義の婿養子となったため、父の継嗣となる。のちに斉邦から偏諱の授与を受けて邦寧と名乗る。

兄で主君の斉邦は天保12年7月24日(1841年9月9日)に25歳で亡くなり、主君が交代したが、それから2年も経たないうちの天保14年(1843年)3月22日に邦寧も亡くなった。享年23。家督は嫡男の藤三郎(邦教)が相続した。

参考文献

  • 『仙台人名大辞書』
登米伊達家12代当主

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