傑堂能勝
傑堂 能勝 | |
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1355年(文和4年) - 1427年(応永34年)8月7日 | |
生地 | 河内国 |
宗旨 | 曹洞宗 |
宗派 | 曹洞宗総持寺派 |
寺院 | 耕雲寺(新潟県村上市)等 |
師 | 古剣智訥、通幻寂霊、梅山聞本(嗣法) |
弟子 | 顕窓慶字(嗣法)、南英謙宗 |
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傑堂 能勝(けつどう のうしょう、1355年(文和4年) - 1427年(応永34年)8月7日)は、室町時代の曹洞宗の僧。
生涯
能勝は初め「音に聞こゆ武人」であったが、24歳の時(1378年)に戦傷を負ったことがきっかけで、仏門に入った[1]。当初、1378年(永和4年)に古剣智訥から臨済宗法燈派を学んだが、のちに曹洞宗に転向して通幻寂霊や梅山聞本に師事し、特に梅山のもとで頭角を現してその法を嗣いだ[1]。
越後に赴任し、1394年(応永元年)に耕雲寺(新潟県村上市)を、また1403年(応永10年)には慈光寺(新潟県蒲原郡村松町)を開基し、一時常陸にも赴いたが、晩年は越後に戻った[2]。弟子に顕窓慶字や南英謙宗などがいる[1]。
また能勝を楠木正勝と同一人物とする説もあるが定かではない(楠木正勝#曹洞宗を参照)[3][4]。
脚注
- ^ a b c 今枝愛真「傑堂能勝」『国史大辞典』吉川弘文館、1997年。
- ^ 今枝 1997.
- ^ 藤田精一『楠氏研究』(増訂四)積善館、1938年
- ^ 藤田精一『楠氏後裔楠正具精説』湊川神社、1938年
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