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堀田鼎

堀田鼎

堀田 鼎(ほった かなえ、1883年明治16年〉9月13日[1] - 1942年昭和17年〉2月24日[2])は、日本の内務官僚県知事台湾総督府交通局総長。

経歴

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福島県安積郡河内村(河内村大字河内、逢瀬村を経て現郡山市逢瀬町河内[1][3]で堀田喜左衛門の五男として生まれる[4][5]第二高等学校を経て1908年(明治41年)東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業[1]1911年(明治44年)11月、文官高等試験行政科試験に合格[6]1912年(大正元年)7月、東京帝国大学法科大学を卒業[1]。同年、内務省に入り土木局属となる[6]

1917年(大正6年)山口県内務部土木課長に就任[3]。以後、東京府千葉県の各理事官などを歴任[3]1921年(大正10年)ジュネーヴで開催された第3回国際労働総会に政府代表随員として出席[1][3]1922年(大正11年)静岡県警察部長となる[1][3]。以後、茨城県内務部長、和歌山県書記官・内務部長、愛知県書記官・内務部長などを務めた[3]

1928年(昭和3年)6月、滋賀県知事に就任[7]。以後、群馬県知事千葉県知事を歴任[7]1932年(昭和7年)3月、台湾総督府に転じ交通局総長となる[8]1936年(昭和11年)10月に辞任し退官した[6][8]。墓所は多磨霊園

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 『大日本人物史』ほ8-9頁。
  2. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、89頁。
  3. ^ a b c d e f 『新編日本の歴代知事』637頁。
  4. ^ a b 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年、459頁「堀田貢」。
  5. ^ 『新編日本の歴代知事』295頁。
  6. ^ a b c 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』201頁。
  7. ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』100-102頁。
  8. ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』128頁。

参考文献

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  • 『大日本人物史 : 銀婚記念 1925年』大日本人物史編纂社、1925年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。


公職
先代
白勢黎吉
日本の旗 台湾総督府交通局総長
第7代:1932 - 1936
次代
泊武治