大峯奥駈道
大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)は、吉野と熊野を結ぶ大峯山を縦走する、修験道の修行の道。1000-1900m級の険しい峰々を踏破する「奥駈」という峰入修行を行なう約80kmに渡る古道を指す[1]。
2002年(平成14年)12月19日、国の史跡「大峯奥駈道」として指定された[2]。ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年〈平成16年〉7月登録)の一部[3]。
概要
大峯奥駈道は、修験道の根本道場である金峯山寺などがある奈良吉野山と熊野三山を結ぶ、もとは修験道の修行場として開かれた道であり、熊野古道の中で最も険阻なルートをなす。修験道の開祖とされる役行者が8世紀初頭に開いたとされる[4]。今日、一般的に大峰山(大峯山)といえば山上ヶ岳を指すが、大峯奥駈道でいう「大峯」とは、吉野から山上ヶ岳を経てさらに奥の山々、そして最終的には熊野三山に至る大峰山脈を縦走する修行の道全体を指している。道中の最高峰は八経ヶ岳の1915m[4]。
吉野から熊野まで、神社や寺のほかに、大峰山脈の主稜線沿いに75の靡(なびき)と呼ばれる行場(霊場)があり、修験者は5月3日の大峯山寺の戸開けから9月23日の戸閉めまでの間に奥駈修行を行なう[5][4]。奥駈は修験道でもっとも重視される修行であり、神仏が宿るとされる岩や峰、滝などで祈りを捧げる[6]。宗教上の理由から、山上ヶ岳の北「五番関」から南の「阿弥陀ヶ森」までは女人禁制[5]。
大峯奥駈
大峯奥駈とは本来、大峯山寺より奥の「靡(なびき)」に進むことを奥駈と云われていた。修行場は「靡」と呼ばれ、ひとつひとつに番号が割り当てられている。すなわち、熊野本宮大社の本宮証誠殿(1番)にはじまり、吉野川河岸の柳の宿(75番)に終わる。この大峯七十五靡は75箇所を数えるが、これは歴史的に整理されてきた結果であり、もっと多くの靡が設けられていた時期もある。
江戸時代の紀州藩の宗教政策や明治時代の修験道禁止令以降、奥駈道の水場に乏しい南部は荒廃し忘れ去られた。しかし1980年以降の前田勇一たちの活動と、これを引き継いだ新宮山彦ぐるーぷなどの尽力により、持経宿、行仙宿、平治宿に山小屋が建てられ、南奥駈道は再興された。
順峯と逆峯
これら行場を巡る方法には2つの方法が知られている。ひとつは、本宮から吉野に向かう順峯(じゅんぷ)、他方は、逆に吉野から本宮に向かう逆峯(ぎゃくふ)で、それぞれに主宰する宗派が異なる。順峯は天台宗系の聖護院(本山派)が、逆峯は真言宗系の醍醐寺三宝院(当山派)がそれぞれ主導する。中世の熊野を支配し、熊野詣の先達をつとめたのは天台宗系の本山派であり、大峯奥駈についても本山派が先行していたが、近世以降の熊野詣の衰退に伴って、江戸時代から今日まで、両派とも吉野から入るのが一般的かつ正統的なものとされている。ただ、中世の熊野詣を主導した天台宗系による順峯は、那智山青岸渡寺によって復興され、今日でも行われているので、完全に途絶したわけではない。
水場が乏しいこともあって、前鬼宿(奈良県下北山村)太古の辻以南の部分(南奥駈と呼ばれることもある)はたどられないことが一般的であり、現在でも大峯七十五靡を踏破する奥駈の行をおこなう寺院は限られている。
歴史
75の靡
以下に示すリストは、現在の聖護院が示すものに従う(逆峯の順番)。どの修験教団でも、靡の名はおおむね一致しているが、一部異なるものがあることに注意されたい。
(出典:修験道修行大系編纂委員会[1994]) | 靡と関連行場を行く(逆峰) 62靡 笙の窟 60靡 稚児泊 59靡 七曜岳 58靡 行者還 57靡 一の多和 55靡 講婆世宿 54靡 弥山 51靡 八経ヶ岳 50靡 明星ヶ岳 47靡 五鈷嶺 五鈷嶺を越えるための垂直岩場 46靡 舟の多和 43靡 仏性ヶ岳 42靡 孔雀岳の行場・孔雀ノ覗 41靡 空鉢岳 42靡孔雀岳と41靡空鉢岳間にある「椽(えん)の鼻」 40靡 釈迦ヶ岳 41靡空鉢岳と40靡釈迦ヶ岳間にある難所「馬の背」 38靡 深仙宿の深仙灌頂堂 27靡 奥守岳 26靡 子守岳(地蔵岳) 25靡 般若岳 23靡 乾光門 24靡 涅槃岳 22靡 持経宿の持経千年桧不動尊 20靡 怒田宿 19靡 行仙岳 19靡行仙岳麓の行者堂 18靡 笠捨山 18靡笠捨山山頂の祠 |
文化財
- 大峯奥駈道 - 国の史跡(2002年〈平成14年〉12月19日指定[2]、備崎経塚群を含む[8])。
脚注
- ^ 世界遺産1 前鬼の里下北山村役場
- ^ a b “大峯奥駈道”. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2010年1月18日閲覧。
- ^ 世界遺産登録推進三県協議会(三重県・奈良県・和歌山県)、2005、『世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道』、世界遺産登録推進三県協議会、pp.39,75
- ^ a b c 大峯奥駈道 吉野山金峯山寺から大峰山寺、玉置神社を経て本宮へ 役行者が開いた難行苦行の修行の道『熊野三山』小賀野実, Jtbパブリッシング, 2015, p119
- ^ a b 大峯奥駈道『日本百名山 山あるきガイド下』Jtbパブリッシング, 2014, p172
- ^ 近畿の屋根に連なる修行の道 大峯奥駈道『熊野古道をあるく』Jtbパブリッシング, 2015, p148
- ^ 世界遺産 幻の修行場を追い求めて
- ^ “田辺市の指定文化財一覧表”. 田辺市教育委員会. 2009年3月20日閲覧。
参考文献
- 修験道修行大系編纂委員会編、1994、『修験道修行大系』、国書刊行会 ISBN 4336034117
- 世界遺産登録推進三県協議会(三重県・奈良県・和歌山県)、2005、『世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道』、世界遺産登録推進三県協議会
映像
- 「大峯奥駈」総本山金峯山寺・NHK共同制作、1987年
- NHKスペシャル「心の行・熊野奥駈け」NHK、1999年放映
関連項目
外部リンク
- 紀伊山地の霊場と参詣道
- 和歌山県世界遺産センター
- 奈良大和路の世界遺産
- 日本山岳修験学会
- 大峯奥駈道を行く
- 大峰山七十五靡図 (新宮市教育委員会文化振興課) - 75の靡の位置と詳細
- 一般型大峰75霊地名一覧の諸類型と流布 : 登山家と研究者の役割 - 小田匡保、駒澤大学応用地理研究所『地域学研究』1993-03
- 『大峯奥駈道』 - コトバンク
- 大峯奥駈道に関連する寺社