大橋太夫
大橋太夫(おおはしたゆう)は、京都の島原の太夫。 有名なのは2人。一人は江戸時代中頃に活躍した「大橋太夫」で、和歌と書に優れ、特に書は「大橋様」とまで称されたという。 いま一人が本項で述べる太夫(18世紀半ばに活躍した「大橋太夫」)である。
大橋太夫(律)
18世紀半ばに活躍した「大橋太夫」は近世畸人伝に「遊女大橋」として取り上げられている[1]。
太夫としての半生
前記の太夫にちなんで「大橋」の源氏名を受け継いだ。
本名は「律(りつ)」で、「洛西喬木女」と号した[2]。もとは江戸住まいの旗本の娘であった。
何かの事情で父親が浪人となり、京に移り住み、そののち島原に入る。武家の娘としての深い教養が、彼女を当時の島原の名妓の地位に押し上げることとなる。
- 梅のはな たか袖ふれし にほひぞと 春やむかしの 月にとはばや
のちにある人に身請けされ、退廓。その人物とは死別し、栗原一素と再婚。冷泉家に入門し、和歌を学ぶ。
その後出家し、禅尼・慧林尼となる。
禅僧・白隠慧鶴に導かれる
脚注
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文献
- パトリシア・フィスター『近世の女性画家たち』(思文閣出版、1994年)
外部リンク
- 近世畸人伝. 巻之1-5 (48-50頁、国立国会図書館デジタルコレクション:コマ32-33)
- 近世畸人伝 饗庭篁村(校) 冨山房 1912(73-77頁、国立国会図書館デジタルコレクション:コマ46-48)
- 禅文化研究所・白隠禅師仮名法語・余談・遊女大橋こと慧林尼のこと (2009年2月18日時点のアーカイブ)
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