太田敦士
作業療法士の「太田篤志」とは別人です。 |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 宮城県仙台市 |
生年月日 | (1978-03-20) 1978年3月20日(46歳) |
身長 体重 | 185 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1995年 ドラフト4位 |
初出場 | 1999年4月28日 |
最終出場 | 1999年5月4日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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太田 敦士(おおた あつし、1978年3月20日 - )は、宮城県仙台市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
小学3年の時にボーイズリーグに入り、5年生の時に全国大会で準優勝する[1]。仙台高校では2年夏に県大会ベスト4、3年夏もやはり準決勝で優勝した仙台育英高に敗れる。2年夏のベスト4進出の際、他チームのエースが仙台育英・金村秀雄、東北高・嶋重宣、仙台工・櫻井幸博と高卒プロ入りする面々であったことから注目されると1995年ドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブに入団[1]。同校初のプロ野球選手となった。カーブやスライダーを武器とした。
1999年に初の一軍登板を果たすも、2000年に現役引退[1]。その後はいくつかの仕事を経て、整体を習得するためにカラダファクトリーへ入り、店長やエリアマネージャーを歴任して株式会社ファクトリージャパングループ 専務取締役となる[2]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
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1999 | オリックス | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 12 | 2.1 | 2 | 0 | 4 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 3.86 | 2.57 |
通算:1年 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 12 | 2.1 | 2 | 0 | 4 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 3.86 | 2.57 |
記録
- 初登板:1999年4月28日、対大阪近鉄バファローズ5回戦(グリーンスタジアム神戸)、7回表に4番手として救援登板、1回1失点
- 初奪三振:同上、7回表に安部理から
背番号
- 48 (1996年 - 2000年)
関連項目
脚注
- ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、104ページ
- ^ アスリート経験を経て、整体師という仕事に生きる。プロ領域を牽引する太田敦士さんが大切にしている想い KA・RA・DA mag 2021年10月7日
外部リンク
- 個人年度別成績 太田敦士 - NPB.jp 日本野球機構