新藤享弘
新藤 享弘 しんどう たかひろ | |
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生年月日 | (1932-09-03) 1932年9月3日 |
出生地 | 埼玉県北足立郡大宮町(現:さいたま市) |
没年月日 | (2020-12-19) 2020年12月19日(88歳没) |
出身校 | 中央大学商学部 |
前職 | 大宮市職員、大宮市助役 |
所属政党 | 無所属 |
称号 | さいたま市名誉市民 |
親族 | 父:新藤元吉(元埼玉県議会議長) 甥:新藤信夫(元さいたま市議会議長) |
大宮市長 | |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1990年8月6日 - 2001年4月30日 |
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新藤 享弘(しんどう たかひろ、1932年〈昭和7年〉9月3日[1] - 2020年〈令和2年〉12月19日)は、日本の政治家。元大宮市長(第16代 - 第18代〈最終〉)。中央大学商学部卒業。埼玉県北足立郡大宮町(現:さいたま市)出身。父は元埼玉県議会議長を務めた新藤元吉。
略歴
大宮市の助役、市長を務めていた1980年代から90年代にかけては、JR東日本、ルミネ等と協力し大宮駅の利便性向上に貢献した。また、大宮市長選挙に初の立候補をした時から、政令指定都市移行をいち早く打ち出した。まんが「大宮の歴史」[2] などの書籍を刊行し、大宮市のPRと活性化に尽力。また同市は財政の緊縮を進め、地方交付税不交付団体となった[3]。2001年に大宮市がさいたま市の設置に伴い廃止され、市長選にも敗北したことから政界引退した。
- 1932年(昭和7年)9月 - 北足立郡大宮町に生まれる。
- 1951年(昭和26年)3月 - 埼玉県立浦和高等学校卒業。
- 1956年(昭和31年)3月 - 中央大学商学部卒業、大宮市役所入職。
- 1978年(昭和53年)4月 - 企画、広報の課長を経て秘書課長に就任。テレビ広報の導入など市民広報の充実を進める。
- 1985年(昭和60年)3月 - 秘書企画室長に就任。東北・上越新幹線の開業による大宮駅西口の再開発事業を推進し、大宮ソニックシティなどが建設された。
- 1988年(昭和63年)7月 - 大宮市助役に就任。
- 1990年(平成2年)8月 - 大宮市長馬橋隆二の後継指名を受け、大宮市長選挙に立候補し初当選、第16代大宮市長に就任。以来さいたま市発足までの3期11年、市長を務める。
- 2001年(平成13年)5月 - さいたま市長選挙に立候補し落選。政界を引退する。
- 2003年(平成15年)4月 - さいたま市より「さいたま市名誉市民」として顕彰される。
- 2020年(令和2年)12月19日 - 死去[4]。88歳没。
関連項目
脚注
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- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、99頁。
- ^ まんが 大宮の歴史
- ^ 当時埼玉県内で不交付団体であったのは、大宮市と戸田市、和光市のみ。ただし戸田市は競艇による税収が大半を占めており、大宮市は競輪による税収も多少はあったものの、純粋な経済活動のみで税収が潤っていたのは、同市と和光市だけである。その中でも、人口40万人クラスの自治体でありながら、地方交付税なしで発展を続けた大宮市は、都市財政のモデルケースとなっていた。
- ^ “新藤享弘旧大宮市長が死去 88歳”. テレ玉ニュース. (2020年12月29日). https://www.teletama.jp/news/20201229.html#o7ljowd68y6j127e 2020年12月29日閲覧。
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