日伯修好通商航海条約
日本国及伯剌西爾合衆国間修好通商航海条約 | |
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通称・略称 | 日伯修好通商航海条約 |
署名 | 1895年11月5日 |
署名場所 | フランス共和国 パリ |
発効 | 1897年2月 |
締約国 | 日本 ブラジル |
主な内容 | 日本とブラジルとの間の国交樹立 |
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日伯修好通商航海条約(にちはくしゅうこうつうしょうこうかいじょうやく)は、1895年(明治28年)11月5日に、パリで、日本とブラジルの間で初めて結ばれた対等条約。日本側大使は曾禰荒助駐仏日本公使、ブラジル側大使はガブリエル・デ・トレド・ピザ・エ・アルメイダ(Gabriel de Toledo Piza e Almeida)駐仏ブラジル公使であった。
概要
ブラジル帝国では、1888年(明治21年)に欧米にならって行った奴隷解放によって労働力不足が生じ、農園主の不満を招いた。それに端を発した革命により、翌年帝政から共和制に移行した。その後ブラジル合衆国政府は、移民を労働力として積極的に受け入れる政策をとった。1894年(明治27年)からは、移民送出を希望する各国の移民会社はブラジル各州の政府と個別に契約することとなった。
ブラジル側では1892年10月5日、日本及び中国からの移民導入を法的に認める法律第97号が公布され、日本移民の受入れ態勢が整っていたが、日本とブラジルの間には正式な国交がないため、日本はブラジルからの移民送出要請に応えることができなかった。そこで1895年(明治28年)11月5日、パリにおいて、曾禰荒助駐仏日本公使とガブリエル・アルメイダ駐仏ブラジル公使との間で、「日伯修好通商航海条約」(「日本国及伯剌西爾合衆国間修好通商航海条約」)が調印された(同条約をもって正式国交樹立)。1897年(明治30年)2月、批准書交換が行われ、日伯両国が相手国に公使館を設置し、8月23日、リオデジャネイロ州ペトロポリス市に開設された日本公使館に初代公使珍田捨巳が着任した。次いで9月にはブラジルのエンリッケ・バルボーザ公使が東京で着任した。
関連項目
参考文献
- 日伯修好通商航海条約調印 外務省
- 日伯交流の歴史 駐日ブラジル大使館
日本が締結した主な国際条約・協定・合意 | |
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開国の時代 江戸時代末期 (1854年–1867年) | |
明治維新の時代 明治前期 (1868年–1893年) | |
日清・日露戦争の時代 明治後期 (1894年–1905年) |
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日露戦争後から 第一次世界大戦まで 明治末期~大正前期 (1906年–1919年) |
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両大戦間の時代 大正後期~昭和初期 (1920年–1936年) |
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日中戦争から 戦後の占領期まで (1937年–1951年) |
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戦後昭和の時代 (1952年–1988年) |
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冷戦終結以降 20世紀末期 ~21世紀初期 平成・令和期 (1989年–) |
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Category:日本の条約 |
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