曽野恵子
曽野 恵子(その けいこ、6月25日(生年不詳)[1] - 2018年10月30日)は、岡山県出身の演歌歌手である。
「曽野恵子音楽事務所」代表取締役。
本名:藤岡久子(ふじおかひさこ)。
キングレコード・松竹芸能・曽野恵子音楽事務所 所属。
作詞家もず唱平に師事した[2]。血液型A型[1]。2代目「通天閣の女王」[2]。
来歴
- 1976年、ネオン街音楽祭オリコン賞受賞 作詞家 もず唱平からスカウトされる。同年、ミノルフォンレコードより(芸名 丘 ゆり子)「過去ある二人」「涙町」でデビュー。NHK新人オーディショントップ合格、TBS新人オーディション合格。
- 1977年、一身上の都合により一時休業。
- 1986年、クラウンレコードより芸名改め 曽野恵子で再デビュー。
- 1989年、キングレコードに移籍。
- 1990年から約30年に渡り、毎年2回西成釜ヶ崎(あいりん地区)の三角公園のステージに出演していた(8月:釜ヶ崎夏祭り、年末:釜ヶ崎越冬闘争)。
- 1992年、「毎度おおきにもやしちゃん」でキングレコードヒット奨励賞を受賞。恩師のもず唱平作詞のデビュー作「釜ヶ崎人情」(作曲 三山敏 歌 三音英次 1967年)をリメイクして発売。
- 1993年、二代目「通天閣の女王」を襲名披露し、各メディアに取り上げられる。
- 1994年、CM(某引越しセンター、カラオケブルートレイン、クラブホールイン)出演。
- 2002年、FM82.0(FMあまがさき)「曽野恵子のふれあい歌謡曲」開始。同番組のDJを9年間務める。
- 2003年、新聞紙上にて【通天閣ものがたり】連載。
- 2013年、10月〜?『演歌ジャックス』にレギュラー出演。
- 2015年、7月28日からマルマンシアターにて開催された歌謡ショー「通天閣の歌謡劇場」に2018年10月21日迄100回公演出演。
- 2018年10月30日、逝去。2014年6月より慢性リンパ性白血病で闘病中だった。
- 2018年11月19日に道頓堀ホテルにて偲ぶ会、2018年12月31日に三角公園にて追悼式が行われた。
ディスコグラフィー
- 過去ある二人/涙町(デビュー曲、ミノルフォンレコード(1976年(昭和51年)リリース)
- 女花/恋おんな(クラウンレコード1986年(昭和61年)リリース)
- なにわ心/(1987年(昭和62年)リリース)
- わかれ北港/(1988年(昭和63年)リリース)
- 兄貴-にいちゃん-/素顔(キングレコード1989年(平成元年)リリース)
- 地車祭(だんじりまつり)/毎度おおきにもやしちゃん(1991年(平成3年)リリース)
- 毎度おおきにもやしちゃん/地車祭(だんじりまつり)(1991年(平成3年)再リリース)
- 釜ヶ崎人情/ぶらり節(1992年(平成4年)リリース)
- 都島区民音頭(1993年(平成5年)非売品)
- 大阪夜川/夫婦亀(2009年11月26日(平成21年)リリース)
- 清水おとこ節/がまん桜(トーオンレコード2011年6月25日(平成23年)企画発売)
脚注
[脚注の使い方]
- ^ a b https://profile.ameba.jp/ameba/sono-keiko/
- ^ a b 「通天閣劇場 涙の楽日 四半世紀 歌手でいられた 「看板スター」万感」 毎日新聞2013年6月28日大阪夕刊19ページ
外部リンク
- 曽野恵子公式サイトリンク切れ
- 曽野恵子本人によるブログ「曽野恵子SONO-KEIKO OFFICIALBLOG」