藤原盛実
凡例 藤原盛実 | |
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時代 | 平安時代後期 |
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 正四位下、治部卿 |
主君 | 堀河天皇 |
氏族 | 藤原北家勧修寺流 |
父母 | 父:藤原憲輔、母:藤原経通の娘 |
妻 | 高階経成の娘、藤原長宗の娘、 源盛子(源頼綱の娘) |
子 | 盛輔、説雅、藤原宗成室、顕憲、顕盛、藤原忠実室、藤原伊通室、藤原頼長乳母、尋実、千覚、藤原家隆室、大中臣師親室 |
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藤原 盛実(ふじわら の もりざね)は、平安時代後期の貴族。藤原北家勧修寺流、宮内卿・藤原憲輔の子。官位は正四位下・治部卿。藤原頼長の外祖父。
経歴
摂関家に家司として仕える。少納言、中宮亮を歴任、嘉承元年(1106年)には土佐守であった。
嘉承2年(1107年)から元永2年(1119年)の間に死去。
官歴
- 寛治3年(1089年) 正月22日:見遠江守[1]
- 寛治6年(1092年) 正月19日:見筑前権守[2]。正月25日:見前甲斐守[3]
- 永長2年(1097年) 10月11日:正五位下(遷御高陽院勤賞)[4]
- 康和4年(1102年) 2月18日:見土佐守[5]
- 康和5年(1103年) 7月25日:従四位下[6]
- 天仁元年(1108年) 11月8日:見土佐守[4]