養竹院
養竹院 | |
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所在地 | 埼玉県比企郡川島町表9 |
位置 | 北緯35度58分45.2秒 東経139度30分03.3秒 / 北緯35.979222度 東経139.500917度 / 35.979222; 139.500917座標: 北緯35度58分45.2秒 東経139度30分03.3秒 / 北緯35.979222度 東経139.500917度 / 35.979222; 139.500917 |
山号 | 常楽山[1] |
宗派 | 臨済宗円覚寺派 |
本尊 | 薬師如来[1] |
創建年 | 明応年間[1] |
開山 | 叔悦[1] |
開基 | 太田資家[1] |
札所等 | 大本山円覚寺百観音霊場39番 |
法人番号 | 5030005008312 |
養竹院 養竹院 (埼玉県) | |
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養竹院(ようちくいん)は、埼玉県比企郡川島町表にある臨済宗円覚寺派の寺院である。山号は常楽山。本尊は薬師如来。
歴史
寺伝によれば、太田道灌の甥で養子となっていた岩付城の太田資家が明応年間に養父の追福のために別の伯父である円覚寺前住職の叔悦禅懌(道灌の実弟にあたる)を開山に迎えて道灌の陣屋跡に建立したと伝えられている。また、院名は開基である資家の法名に由来するとされ[1]、資家及びその嫡男資頼の墓も同院にある。ただし、近年の研究では、太田資家を祖とする「岩付太田氏」が岩付城を本拠としたのは、資家没後の大永4年(1524年)の事と考えられており、養竹院周辺が資家時代から資頼時代初期(岩付城攻略まで)の同氏の拠点であった可能性が高いと考えられている。
岩付太田氏の没落後の、天正19年(1591年)に徳川家康から朱印地10石が与えられ[1]、孫の徳川家光は寛永年間に鷹狩の際に養竹院に立ち寄って朱印地10石と境内地として1万坪を与えたとされている。開山を描いた「叔悦禅師頂相」は埼玉県の重要文化財となっている。
脚注
- ^ a b c d e f g 新編武蔵風土記稿 表村.
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 11』(埼玉県)(角川書店、1980年) ISBN 978-4-040-01110-3
- 『日本歴史地名大系 11 埼玉県の地名』(平凡社、1993年) ISBN 978-4-582-49011-4
- 利根川宇平「岩付太田氏の支配」(初出:『川島町史 通史編上巻』(川島町、2007年)/所収:黒田基樹 編『論集戦国大名と国衆12 岩付太田氏』(2013年、岩田書院) ISBN 978-4-87294-797-7)
- 「表村 養竹院」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ188比企郡ノ3、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764005/94。
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