高橋秀
高橋 秀 | |
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高橋 秀 (たかはし しゅう) | |
文化功労者顕彰に際して 公表された肖像写真 | |
生誕 | 髙橋 秀夫 (たかはし ひでお) (1930-06-30) 1930年6月30日(94歳) 広島県芦品郡網引村 (後の旧新市町、現:福山市) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 広島県立府中中学校卒業 武蔵野美術学校中途退学 |
著名な実績 | 絵画 版画 彫刻 映画美術 写真 |
受賞 | 安井賞(1961年) 芸術選奨文部大臣賞(1987年) |
公式サイト | 悠久への回帰 美術作家 高橋 秀オフィシャルサイト |
民族 | 大和民族 |
活動期間 | 1951年 - |
影響を受けた 芸術家 | 緑川広太郎、駒井哲郎、小茂田守介 |
高橋 秀(たかはし しゅう、1930年(昭和5年)6月30日 - )は、日本の画家、版画家、彫刻家。元独立美術協会会員、倉敷芸術科学大学名誉教授、文化功労者。本名は髙橋 秀夫(たかはし ひでお)[1]。本名の姓の「髙」[1] はいわゆる「はしごだか」であるが、筆名の姓の「高」[1] はいわゆる「くちだか」である。
倉敷芸術科学大学芸術学部教授、秀art studio主宰などを歴任した。
来歴
生い立ち
1930年6月30日、広島県芦品郡網引村字宮内(後に合併により新市町宮内を経て現在の福山市新市町宮内)にて生まれた[2]。1948年3月、広島県立府中中学校を卒業した[2]。1950年、武蔵野美術学校に入学したが、半年で退学。1951年より独立美術協会の緑川広太郎の自宅に住み込み[2]、制作の指導を受けた[2]。
芸術家として
1961年第5回安井賞を受賞するも1963年より2004年に帰国するまでイタリア、ローマに滞在した。1979年には友人の版画家池田満寿夫に請われ池田満寿夫原作、監督の映画「エーゲ海に捧ぐ」の美術監督を務めた。日本全国、欧米のギャラリー、美術館(国公立美術館での個展は多数)での個展、グループ展やモニュメントの制作などを行う。
1995年に倉敷芸術科学大学教授に就任[3]。2011年より倉敷芸術科学大学名誉教授となる[4]。
1994年に紫綬褒章を受章。2004年マルセン文化大賞、2005年山陽新聞社賞、2008年岡山県三木記念賞を受賞、2010年岡山県文化賞を受賞。2020年、文化功労者。
作風
絵画作品以外に版画、モニュメント、写真など多角的に制作する。抽象的な作品ながら、その印象から「エロスの画家」と言われる[5]。「エロス」を感じさせる簡潔な線とフォルムの2大要素で表現は高橋秀にとって必要な要素である。
賞歴
- 1961年 - 独立最優秀賞[6]。
- 1961年 - 安井賞[6]。
- 1968年 - T氏賞[6]。
- 1987年 - 芸術選奨文部大臣賞[6]。
- 1988年 - 日本芸術大賞[6]。
- 2004年 - マルセン文化大賞[6]。
- 2005年 - 山陽新聞社賞[6]。
- 2008年 - 岡山県三木記念賞[6]。
- 2010年 - 岡山県文化賞[6]。
栄典
書籍
- 高橋秀,写真集「エーゲ海に捧ぐ」,芳賀書店,1979年
- 高橋秀,—悠久への回帰—高橋秀展,岡山県立美術館,2010年
脚注
- ^ a b c 大臣官房人事課「令和2年度文化功労者」『令和2年度 文化功労者:文部科学省』文部科学省。
- ^ a b c d e f 「高橋秀」『経歴 美術作家 高橋秀の世界「悠久への回帰」』高橋秀。
- ^ “02 高橋 秀さん/みなと玉島空間/玉島支所/倉敷市”. www.city.kurashiki.okayama.jp. 2019年12月9日閲覧。
- ^ “経歴 美術作家 高橋秀の世界「悠久への回帰」”. shu.ehoh.net. 2019年12月9日閲覧。
- ^ 高橋 秀,高橋秀展 エロス・極限の赤と黒,京都国立近代美術館,1990年、や大岡信の著書「美をひらく扉」での記述。
- ^ a b c d e f g h i 「高橋秀」『経歴 美術作家 高橋秀の世界「悠久への回帰」』高橋秀。
- ^ “令和2年度 文化功労者”. 文部科学省 (2020年11月3日). 2020年11月9日閲覧。
外部リンク
- 悠久への回帰 美術作家 高橋 秀オフィシャルサイト - 公式ウェブサイト
- 秀 art studio - 秀art studioの式ウェブサイト