グエン・カーン
グエン・カーン Nguyễn Khánh 阮慶 | |
グエン・カーン(1964年撮影) | |
任期 | 1964年8月16日 – 1964年8月27日 |
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首相 | グエン・カーン(兼務) |
任期 | 1964年2月8日 – 1964年10月26日 |
国家元首 | ズオン・バン・ミン グエン・カーン(兼務) |
出生 | (1927-11-08) 1927年11月8日 フランス領インドシナ連邦 チャーヴィン |
死去 | (2013-01-11) 2013年1月11日(85歳没) アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンノゼ |
政党 | 無所属 |
受賞 | |
出身校 | アメリカ陸軍指揮幕僚大学 サン・シール陸軍士官学校 |
配偶者 | マダム・カーン(英語版) |
署名 |
グエン・カーン | |
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各種表記 | |
チュ・クオック・グー: | Nguyễn Khánh |
漢字・チュノム: | 阮慶 |
北部発音: | グエン・カーン |
日本語読み: | げん けい |
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グエン・カーン(阮 慶、ベトナム語:Nguyễn Khánh / 阮慶、1927年11月8日 - 2013年1月11日)は、ベトナム共和国(南ベトナム)の元大統領、軍人である。
経歴
南ベトナム大統領
南ベトナム解放民族戦線との戦闘に注力しないズオン・バン・ミンに反発し、アメリカのロバート・マクナマラ国防長官などの強力な支持のもとで南ベトナムの指導者となるべく1964年にクーデターを起こし、同年1月30日に大統領に就任した。しかし、クーデターを乱発し内政を混乱させたことが南ベトナム社会の不安定化を招き、皮肉にも南ベトナム解放民族戦線の勢力を伸張させる要因となった。
国外追放
1965年2月25日、彼はアメリカの対南ベトナム政策への不信から南ベトナム解放民族戦線に歩み寄る可能性を示唆したことで、グエン・バン・チュー(阮文紹)ら南ベトナム軍の強硬派若手将校によって事実上フランスへと追放された。
その後1975年、南ベトナムが崩壊するとグエン・カーンは、1977年に妻と4人の子供を引き連れてアメリカに移住し、テキサス州やホンジュラス、カリフォルニア州にあるベトナム系(越僑)の企業などで働いていた。
政治への復帰
1990年代になると、彼はベトナムの将来に関する政治的活動や軍事的知識の習得などを積極的に行うようになった。2005年1月2日、リトル・サイゴン(カリフォルニア州)に本拠地を置く反共亡命政府組織である自由ベトナム臨時政府の政府元首に選出され、再び政治的活動を本格化させた。もっとも、政府元首就任以降に彼が行った政治活動は、現時点ではほとんど伝わっていない。
2013年1月11日、カリフォルニア州サンノゼで死去[1]。85歳没。
関連項目
外部リンク
- 1964年の韓国訪問
脚注
[脚注の使い方]
- ^ Cựu Đại Tướng Nguyễn Khánh qua đời tại San Jose, hưởng thọ 86 tuổi vietvungvinh 2013年1月17日閲覧
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ベトナムの国家元首(1945年以降) | |
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ベトナム国国長 |
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ベトナム共和国大統領 |
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南ベトナム共和国顧問評議会議長 |
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ベトナム民主共和国国家主席 |
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ベトナム社会主義共和国 国家主席 |
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暫:暫定指導委員会 代:代理 |
ベトナムの首相・政府の長(1945年以降) | |
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ベトナム帝国 内閣総長 (1945年) | |
コーチシナ自治共和国 首相 / 大統領 (1946年 - 1948年) |
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ベトナム暫定中央政府(英語版) 首相 (1948年 - 1949年) | |
ベトナム国 首相 (1949年 - 1955年) |
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ベトナム共和国 首相 (1955年 - 1975年) |
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南ベトナム共和国 政府主席 (1969年 - 1976年) | |
ベトナム民主共和国 政府主席 / 首相 (1945年 - 1976年) | |
ベトナム社会主義共和国 閣僚評議会議長 / 政府首相 (1976年 - ) | |
代:代理 注1:ベトナム暫定中央政府副首相を兼任。 カテゴリ |