レース詳細 | |||
---|---|---|---|
![]() | |||
日程 | 1974年シーズン第10戦 | ||
決勝開催日 | 7月20日 | ||
開催地 |
ブランズ・ハッチ![]() ![]() | ||
コース長 | 4.206 km (2.613 mi) | ||
レース距離 | 75周 315.450 km (196.012 mi) | ||
決勝日天候 | 晴(ドライ)[1] | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | |||
タイム | 1:19.7[W 1] | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー |
![]() | ||
タイム | 1:21.1(25周目)[W 2] | ||
決勝順位 | |||
優勝 |
| ||
2位 | |||
3位 |
1974年イギリスグランプリ(1974ねんイギリスグランプリ、英: 1974 British Grand Prix、正式名称: John Player Grand Prix[W 4])は、1974年のF1世界選手権の第10戦として、ブランズ・ハッチで1974年7月20日に開催された自動車レース(イギリスグランプリ)。
概要
[編集]レースは75周で行われ、ティレルのジョディー・シェクターが優勝した。マクラーレンのエマーソン・フィッティパルディが2位、ロータスのジャッキー・イクスが3位となった。
エントリー
[編集](特記のない出典:[W 5])
本GPはこの年最多の34台がエントリーされた。
ブラバムは前戦フランスGPをもって引退したリッキー・フォン・オペルに代わり、ゴールディ・ヘキサゴン・レーシング(ヘキサゴン)でブラバム・BT42を走らせたカルロス・パーチェを起用した。ヘキサゴンは空いた2台目のドライバーとして、マリア・テレーザ・デ・フィリッピス以来2人目の女性ドライバーとなるレラ・ロンバルディを起用し(エントラント名はスポンサーの「アリード・ポリマー・グループ(Allied Polymer Group)」)、ブラバム・BT42を走らせる[W 5]。カーナンバーは「208」を使用する[2][注 1]。
サーティースはヨッヘン・マスの新しいチームメイトとして、デレック・ベルを起用する。
ウィリアムズ(イソ・マールボロ)は2台目のドライバーをトム・ベルソに戻したが、前戦フランスGPに参戦したジャン=ピエール・ジャブイーユもプラクティスのみ走行する。
エンバシー・ヒルは前週末にマロリー・パークで開催されたF5000のプラクティスで左手首を負傷したガイ・エドワーズを当初エントリーしていたが、負傷のダメージが大きく出場を諦めたため、代走としてピーター・ゲシンを起用した[3]。
トークンは新たにデビッド・パーレイを起用し、第5戦ベルギーGP以来の参戦復帰となる。

日本の「マキ」がF1への参戦を開始した。日本のチームがF1に参戦するのは1968年に撤退したホンダ以来6年ぶりである[注 2]。「マナ」で斬新的なFL500やGC用のマシンを設計した三村建治が中心となり、3月15日にイギリスで体制発表を行ったが、三村と小野昌朗により制作されたF101を試走させたところ、大きな手直しが必要となり[4]、本GPの1週間前から改造に取りかかりボディスタイルは一新され、体制発表の頃の面影はなくなっていた[5][注 3]。ドライバーはハウデン・ガンレイを起用した。
エンジンチューナーやフォーミュラ・アトランティックのドライバーとして知られるジョン・ニコルソンは、マーティン・スレーター(Martin Slater)率いるリンカーにマシン制作を依頼し、006でスポット参戦する[6]。
デンプスター・インターナショナル・レーシングチーム(Dempster International Racing Team)はかつてヘスケスが使用していたマーチ・731をマイク・ワイルズに与えてスポット参戦する。
スクーデリア・フィノットはF3ドライバーのアンディ・サトクリフを起用したが、参加しなかった[W 6]。
エントリーリスト
[編集]- 追記
予選
[編集](特記のない出典:[W 5])
ニキ・ラウダが3戦連続でポールポジションを獲得した。ロニー・ピーターソンがラウダと同タイムの2番手でフロントローに並ぶ。予選初日にベストタイムを出した地元出身の新人トム・プライス[7]は、3列目の5番手からスタートする。
女性ドライバーのレラ・ロンバルディも初日は1分23秒6の好タイムを出す健闘を見せたが[7]、決勝に進出できる上位25台には届かず、サーキットへの到着が遅れて2日目のみの参加となったマキのハウデン・ガンレイも首位のラウダから4秒遅れで、決勝に進むことができなかった[5]。
予選結果
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | Grid |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 12 | ![]() |
フェラーリ | 1:19.7 | - | 1 |
2 | 1 | ![]() |
ロータス-フォード | 1:19.7 | 0.0 | 2 |
3 | 3 | ![]() |
ティレル-フォード | 1:20.1 | +0.4 | 3 |
4 | 7 | ![]() |
ブラバム-フォード | 1:20.2 | +0.5 | 4 |
5 | 16 | ![]() |
シャドウ-フォード | 1:20.3 | +0.6 | 5 |
6 | 24 | ![]() |
ヘスケス-フォード | 1:20.3 | +0.6 | 6 |
7 | 11 | ![]() |
フェラーリ | 1:20.3 | +0.6 | 7 |
8 | 5 | ![]() |
マクラーレン-フォード | 1:20.5 | +0.8 | 8 |
9 | 9 | ![]() |
マーチ-フォード | 1:20.7 | +1.0 | 9 |
10 | 4 | ![]() |
ティレル-フォード | 1:20.8 | +1.1 | 10 |
11 | 33 | ![]() |
マクラーレン-フォード | 1:21.2 | +1.5 | 11 |
12 | 2 | ![]() |
ロータス-フォード | 1:21.2 | +1.5 | 12 |
13 | 28 | ![]() |
ブラバム-フォード | 1:21.3 | +1.6 | 13 |
14 | 37 | ![]() |
BRM | 1:21.4 | +1.7 | 14 |
15 | 20 | ![]() |
イソ・マールボロ-フォード | 1:21.6 | +1.9 | 15 |
16 | 17 | ![]() |
シャドウ-フォード | 1:21.6 | +1.9 | 16 |
17 | 19 | ![]() |
サーティース-フォード | 1:21.6 | +1.9 | 17 |
18 | 10 | ![]() |
マーチ-フォード | 1:21.6 | +1.9 | 18 |
19 | 6 | ![]() |
マクラーレン-フォード | 1:21.7 | +2.0 | 19 |
20 | 8 | ![]() |
ブラバム-フォード | 1:21.7 | +2.0 | 20 |
21 | 27 | ![]() |
ローラ-フォード | 1:21.7 | +2.0 | 21 |
22 | 26 | ![]() |
ローラ-フォード | 1:21.9 | +2.2 | 22 |
23 | 14 | ![]() |
BRM | 1:22.1 | +2.4 | 23 |
24 | 15 | ![]() |
BRM | 1:22.2 | +2.5 | 24 |
25 | 23 | ![]() |
トロージャン-フォード | 1:22.4 | +2.7 | 25 |
上位25台が決勝進出 | ||||||
26 | 42 | ![]() |
トークン-フォード | 1:22.7 | +3.0 | DNQ |
27 | 18 | ![]() |
サーティース-フォード | 1:22.7 | +3.0 | DNQ |
28 | 21 | ![]() |
イソ・マールボロ-フォード | 1:23.3 | +3.6 | DNQ |
29 | 208 | ![]() |
ブラバム-フォード | 1:23.3 | +3.6 | DNQ |
30 | 22 | ![]() |
エンサイン-フォード | 1:23.4 | +3.7 | DNQ |
31 | 29 | ![]() |
リンカー-フォード | 1:23.6 | +3.9 | DNQ |
32 | 25 | ![]() |
マキ-フォード | 1:23.7 | +4.0 | DNQ |
33 | 35 | ![]() |
マーチ-フォード | 1:24.1 | +4.4 | DNQ |
34 | 43 | ![]() |
サーティース-フォード | 1:25.6 | +5.9 | DNQ |
35 | 27 | ![]() |
ローラ-フォード | 1:34.9 | +15.2 | WD 1 |
出典: [W 1][W 9] |
- 追記
- ^1 - エドワーズは左手首の負傷により出場を取りやめ、ゲシンに交代
決勝
[編集]

(特記のない出典:[8])
エンバシー・ヒルで1年ぶりの出走となるピーター・ゲシンは、朝のウォームアップランでエンジンをブローさせてしまい、グラハム・ヒルのスペアカーに乗り換えた。
ポールポジションからスタートしたニキ・ラウダが勢いよく飛び出し、ジョディー・シェクターとクレイ・レガツォーニに3車身差を付ける一方、2番手スタートのロニー・ピーターソンはレガツォーニの後方4番手まで順位を落とした。ゲシンはコクピットが合わないマシンに苦慮した上に1周もしないうちにタイヤがパンクしてリタイアに終わり、寂しい復帰戦となってしまった[注 4]。
ラウダはシェクターとの差を広げていき、5周目には2.2秒の差を付けた。レガツォーニは巧妙にピーターソンを抑えてラウダを援護する。
レース中盤まで動きはあまりなかったが、ハンス=ヨアヒム・スタックが36周目のジングルベル・コーナーを抜けたところで大きくスピンし、マシンは土手にクラッシュしてしまう。マシンは炎上しなかったが、この事故により泥と小石がコース上に散乱してしまい、各車パンクの恐怖に怯えることになる。まずピーターソンが39周目に小石によりリアタイヤがパンクしてしまい、続いてレガツォーニも41周目に右フロントタイヤをパンクさせてしまう。両者ともタイヤを交換してコースに復帰したが、大きく順位を落としてしまった。
ラウダは62周目まで快調に首位を独走していたが、右リアタイヤがパンクするとペースがどんどん落ちていく。心配するピットクルーからピットインの指示が出たが、ラウダはそのまま走行を重ねるも70周目にはシェクターに首位の座を奪われ、続いてエマーソン・フィッティパルディにも先行されてしまう。なんとか完走してポイントを獲得したかったが、残り2周となった73周目には右リアホイールがむき出しとなってしまい、火花まで出てしまっていたため、ピットインせざるを得なかった。ホイールの交換はわずか15秒で終わったが、ピットロードはフィニッシュを見ようとする人々の群れに塞がれてコースに復帰できず[9]、入賞圏外の9位まで落ちてしまった。
シェクターは今季2勝目を挙げてドライバーズチャンピオン争いに加わり、ケン・ティレルも大喜びだった。フィッティパルディが2位、ジャッキー・イクスが3位で表彰台を獲得した[W 6]。一方、フェラーリのスポーティングディレクターを務めるルカ・ディ・モンテゼーモロはラウダが最後の1周を走行できなかったことに対し、主催者の王立自動車クラブ(RAC)に抗議するも却下され[W 6]、ラウダは9位のまま一旦はリザルトが確定したが、モンテゼーモロが国際自動車連盟(FIA)にも抗議した結果[W 6]、2ヶ月後の9月19日にFIAが「架空の1周」を認め、9位から入賞圏内の5位に浮上してポイント獲得にこぎつけた[9][10]。
レース結果
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | Grid | Pts. |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 3 | ![]() |
ティレル-フォード | 75 | 1:43:02.2 | 3 | 9 |
2 | 5 | ![]() |
マクラーレン-フォード | 75 | +15.3 | 8 | 6 |
3 | 2 | ![]() |
ロータス-フォード | 75 | +1:01.5 | 12 | 4 |
4 | 11 | ![]() |
フェラーリ | 75 | +1:07.2 | 7 | 3 |
5 | 12 | ![]() |
フェラーリ | 74 1 | +1 Lap 1 | 1 | 2 |
6 | 7 | ![]() |
ブラバム-フォード | 74 | +1 Lap | 4 | 1 |
7 | 6 | ![]() |
マクラーレン-フォード | 74 | +1 Lap | 19 | |
8 | 16 | ![]() |
シャドウ-フォード | 74 | +1 Lap | 5 | |
9 | 8 | ![]() |
ブラバム-フォード | 74 | +1 Lap | 20 | |
10 | 1 | ![]() |
ロータス-フォード | 73 | +2 Laps | 2 | |
11 | 28 | ![]() |
ブラバム-フォード | 73 | +2 Laps | 13 | |
12 | 14 | ![]() |
BRM | 72 | +3 Laps | 23 | |
13 | 26 | ![]() |
ローラ-フォード | 69 | +6 Laps | 22 | |
14 | 19 | ![]() |
サーティース-フォード | 68 | +7 Laps | 17 | |
Ret | 15 | ![]() |
BRM | 64 | エンジン | 24 | |
NC | 37 | ![]() |
BRM | 62 | 規定周回数不足 | 14 | |
Ret | 33 | ![]() |
マクラーレン-フォード | 57 | スピンオフ | 11 | |
Ret | 17 | ![]() |
シャドウ-フォード | 45 | サスペンション | 16 | |
Ret | 9 | ![]() |
マーチ-フォード | 36 | アクシデント | 9 | |
Ret | 4 | ![]() |
ティレル-フォード | 35 | エンジン | 10 | |
Ret | 20 | ![]() |
イソ・マールボロ-フォード | 25 | エンジン | 15 | |
Ret | 10 | ![]() |
マーチ-フォード | 17 | 燃料システム | 18 | |
Ret | 23 | ![]() |
トロージャン-フォード | 6 | サスペンション | 25 | |
Ret | 24 | ![]() |
ヘスケス-フォード | 2 | サスペンション | 6 | |
Ret | 27 | ![]() |
ローラ-フォード | 0 | タイヤ/ドライビングポジション[1][11] | 21 | |
DNQ | 42 | ![]() |
トークン-フォード | 予選不通過 | |||
DNQ | 18 | ![]() |
サーティース-フォード | 予選不通過 | |||
DNQ | 21 | ![]() |
イソ・マールボロ-フォード | 予選不通過 | |||
DNQ | 208 | ![]() |
ブラバム-フォード | 予選不通過 | |||
DNQ | 22 | ![]() |
エンサイン-フォード | 予選不通過 | |||
DNQ | 29 | ![]() |
リンカー-フォード | 予選不通過 | |||
DNQ | 25 | ![]() |
マキ-フォード | 予選不通過 | |||
DNQ | 35 | ![]() |
マーチ-フォード | 予選不通過 | |||
DNQ | 43 | ![]() |
サーティース-フォード | 予選不通過 | |||
WD | 27 | ![]() |
ローラ-フォード | ゲシンに交代 | |||
優勝スピード(勝者シェクターの平均速度):186.269 km/h | |||||||
ファステストラップ:ニキ・ラウダ - 1:21.1(25周目)[W 2] | |||||||
出典: [W 10][W 3][W 9] |
- 追記
ドライバー | 周回数 | リードラップ |
---|---|---|
ニキ・ラウダ | 69周 | 1-69 |
ジョディー・シェクター | 6周 | 70-75 |
出典: [W 11] |
- 太字は最多ラップリーダー
主な記録
[編集]ドライバー
[編集]- 初参戦 / 初出走 / 初完走:ジョン・ニコルソン[W 12] - 唯一の参戦
- 初参戦:マイク・ワイルズ[W 13]、レラ・ロンバルディ[W 14] - ともに予選不通過。ロンバルディはマリア・テレーザ・デ・フィリッピス以来2人目の女性F1ドライバー[W 15]。
- 30戦目の出走 / 最終参戦 / 最終出走:ピーター・ゲシン[W 6][W 16]
- ジョディー・シェクターが出走したことにより、南アフリカ人ドライバーが50戦目の出走を果たした[W 17]。
- ニキ・ラウダが出走したことにより、オーストリア人ドライバーが100戦目の出走を果たした[W 18]。オーストリア人ドライバーは本GPまで8勝(ヨッヘン・リント6勝、ラウダ2勝)[W 19]、表彰台18回(リント13回、ラウダ5回)[W 20]、ポールポジション16回(リント10回、ラウダ6回)[W 21]、ファステストラップ5回(リント3回、ラウダ2回)[W 22]、ドライバーズチャンピオン1回(1970年のリント)[W 23]を記録している。
コンストラクター
[編集]- 初参戦:リンカー[W 24]、マキ[W 25] - ともに予選不通過。日本のコンストラクターの参戦は、1968年に撤退したホンダ以来2チーム目[W 26]。
- 25戦目の出走:イソ・マールボロ[W 27]
- 50戦目の出走:ティレル[W 6][W 28]
エンジン
[編集]第10戦終了時点のランキング
[編集]ポイントはレース終了から2ヶ月後にニキ・ラウダの順位が9位から5位に繰り上がった後のものとする。
|
|
- 注: トップ5のみ表示。有効ポイントは前半8戦のうちベスト7戦と後半7戦のうちベスト6戦の合計。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- 書籍
- ^ a b c (林信次 1993, p. 128)
- ^ (林信次 1993, p. 82)
- ^ (AUTOSPORT 151, pp. 29, 31)
- ^ (林信次 1993, pp. 79–80)
- ^ a b (AUTOSPORT 151, p. 33)
- ^ (林信次 1993, p. 89)
- ^ a b (AUTOSPORT 151, p. 31)
- ^ (AUTOSPORT 151, pp. 29–31)
- ^ a b (林信次 1993, p. 78)
- ^ (AUTOSPORT 155, p. 50)
- ^ (AUTOSPORT 151, p. 29)
- ウェブサイト
- ^ a b “Britain 1974 - Qualifications” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
- ^ a b “Britain 1974 - Best laps” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
- ^ a b “Britain 1974 - Result” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
- ^ “1974 Formula 1 World Championship Programmes” (英語). The Programme Covers Project. 2025年8月21日閲覧。
- ^ a b c “British GP, 1974” (英語). grandprix.com. 2025年8月21日閲覧。
- ^ a b c d e f “Britain 1974”. STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
- ^ “Britain 1974 - Race entrants” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
- ^ “1974 British Grand Prix Entry list” (英語). Racing Sports Cars. 2023年10月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年8月21日閲覧。
- ^ a b “Britain 1974 - Starting grid” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
- ^ “1974 British Grand Prix”. formula1.com. 2015年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年8月21日閲覧。
- ^ “Britain 1974 - Laps led” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
- ^ “戦績:J.ニコルソン”. F1 DataWeb. 2025年8月21日閲覧。
- ^ “戦績:M.ワイルズ”. F1 DataWeb. 2025年8月21日閲覧。
- ^ “戦績:L.ロンバルディ”. F1 DataWeb. 2025年8月21日閲覧。
- ^ “Women in Formula One|Overview of all F1 Female drivers” (英語). RacingNews365.com. 2025年8月21日閲覧。
- ^ “戦績:P.ゲシン”. F1 DataWeb. 2025年8月21日閲覧。
- ^ “South Africa - Grands Prix started (1974)” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
- ^ “Austria - Grands Prix started (1974)” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
- ^ “Austria - Wins” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
- ^ “Austria - Podiums” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
- ^ “Austria - Pole positions” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
- ^ “Austria - Fastests laps” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
- ^ “Austria” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
- ^ “戦績:リンカー”. F1 DataWeb. 2025年8月21日閲覧。
- ^ “戦績:マキ”. F1 DataWeb. 2025年8月21日閲覧。
- ^ “Maki” (フランス語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
- ^ “Iso-Marlboro - Grands Prix started 1974” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
- ^ “Tyrrell - Grands Prix started 1974” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
- ^ “Grands Prix Britain (Wins)” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
- ^ a b “FIA Formula One World Championship 1974 British Grand Prix Standings” (英語). Motorsport Stats. 2025年8月21日閲覧。
参照文献
[編集]- Wikipedia英語版 - en:1974 British Grand Prix(2025年5月15日 11:58:59(UTC))
- 林信次『F1全史 1971-1975 [名手スチュワートの退場/若手精鋭たちの新時代]』ニューズ出版(現:三栄)、1993年。ISBN 4-938495-05-8。ASB:FZS19931201。
- 山口正彦、赤井邦彦「イギリス・グランプリ」『AUTO SPORT No.151 1974年9月15日号』、三栄書房、1974年、27-33頁、ASB:AST19740915。
- 「情報パック「ラウダ、5位!」」『AUTO SPORT No.155 1974年11月15日号』、三栄書房、1974年、50頁、ASB:AST19741115。
外部リンク
[編集]- Britain 1974 - STATS F1(レースレポートのみフランス語。他は英語)
- British GP, 1974 - grandprix.com(英語)
- 1974年第10戦イギリスグランプリの結果 - F1 DataWeb
前戦 1974年フランスグランプリ |
FIA F1世界選手権 1974年シーズン |
次戦 1974年ドイツグランプリ |
前回開催 1973年イギリスグランプリ |
![]() |
次回開催 1975年イギリスグランプリ |