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1974年イギリスグランプリ

イギリスの旗 1974年イギリスグランプリ
レース詳細
日程 1974年シーズン第10戦
決勝開催日 7月20日
開催地 ブランズ・ハッチ
イギリスの旗 イギリスイングランドの旗 イングランドケント州 ウェスト・キングスダウン英語版
コース長 4.206 km (2.613 mi)
レース距離 75周 315.450 km (196.012 mi)
決勝日天候 晴(ドライ)[1]
ポールポジション
ドライバー
タイム 1:19.7[W 1]
ファステストラップ
ドライバー オーストリアの旗 ニキ・ラウダ
タイム 1:21.1(25周目)[W 2]
決勝順位
優勝
2位
3位

1974年イギリスグランプリ(1974ねんイギリスグランプリ、: 1974 British Grand Prix、正式名称: John Player Grand Prix[W 4])は、1974年のF1世界選手権の第10戦として、ブランズ・ハッチ1974年7月20日に開催された自動車レースイギリスグランプリ)。

概要

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レースは75周で行われ、ティレルジョディー・シェクターが優勝した。マクラーレンエマーソン・フィッティパルディが2位、ロータスジャッキー・イクスが3位となった。

エントリー

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(特記のない出典:[W 5]

本GPはこの年最多の34台がエントリーされた。

ブラバムは前戦フランスGPをもって引退したリッキー・フォン・オペルに代わり、ゴールディ・ヘキサゴン・レーシング(ヘキサゴン)英語版ブラバム・BT42を走らせたカルロス・パーチェを起用した。ヘキサゴンは空いた2台目のドライバーとして、マリア・テレーザ・デ・フィリッピス以来2人目の女性ドライバーとなるレラ・ロンバルディを起用し(エントラント名はスポンサーの「アリード・ポリマー・グループ(Allied Polymer Group)」)、ブラバム・BT42を走らせる[W 5]。カーナンバーは「208」を使用する[2][注 1]

サーティースヨッヘン・マスの新しいチームメイトとして、デレック・ベルを起用する。

ウィリアムズ(イソ・マールボロ)は2台目のドライバーをトム・ベルソ英語版に戻したが、前戦フランスGPに参戦したジャン=ピエール・ジャブイーユもプラクティスのみ走行する。

エンバシー・ヒルは前週末にマロリー・パーク英語版で開催されたF5000のプラクティスで左手首を負傷したガイ・エドワーズを当初エントリーしていたが、負傷のダメージが大きく出場を諦めたため、代走としてピーター・ゲシンを起用した[3]

トークンは新たにデビッド・パーレイを起用し、第5戦ベルギーGP以来の参戦復帰となる。

日本のマキがF1に初参戦した(改造前のF101 (F101A)。2014年のグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードにて)。

日本の「マキ」がF1への参戦を開始した。日本のチームがF1に参戦するのは1968年に撤退したホンダ以来6年ぶりである[注 2]。「マナ」で斬新的なFL500GC用のマシンを設計した三村建治が中心となり、3月15日にイギリスで体制発表を行ったが、三村と小野昌朗により制作されたF101を試走させたところ、大きな手直しが必要となり[4]、本GPの1週間前から改造に取りかかりボディスタイルは一新され、体制発表の頃の面影はなくなっていた[5][注 3]。ドライバーはハウデン・ガンレイを起用した。

エンジンチューナーやフォーミュラ・アトランティックのドライバーとして知られるジョン・ニコルソンは、マーティン・スレーター(Martin Slater)率いるリンカー英語版にマシン制作を依頼し、006でスポット参戦する[6]

デンプスター・インターナショナル・レーシングチーム(Dempster International Racing Team)はかつてヘスケスが使用していたマーチ・731マイク・ワイルズに与えてスポット参戦する。

スクーデリア・フィノット英語版F3ドライバーのアンディ・サトクリフ英語版を起用したが、参加しなかった[W 6]

エントリーリスト

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チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
イギリスの旗 ジョン・プレイヤー・チーム・ロータス 1 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン ロータス 72E フォード DFV 3.0L V8 G
2 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス
イギリスの旗 エルフ・チーム・ティレル 3 南アフリカの旗 ジョディー・シェクター ティレル 007 フォード DFV 3.0L V8 G
4 フランスの旗 パトリック・デパイユ
イギリスの旗 マールボロ・チーム・テキサコ 5 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ マクラーレン M23 フォード DFV 3.0L V8 G
6 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム
イギリスの旗 ヤードレー・チーム・マクラーレン 33 イギリスの旗 マイク・ヘイルウッド
イギリスの旗 モーターレーシング・ディベロップメンツ・リミテッド 7 アルゼンチンの旗 カルロス・ロイテマン ブラバム BT44 フォード DFV 3.0L V8 G
8 ブラジルの旗 カルロス・パーチェ
イギリスの旗 マーチ・エンジニアリング 9 西ドイツの旗 ハンス=ヨアヒム・スタック マーチ 741 フォード DFV 3.0L V8 G
10 イタリアの旗 ヴィットリオ・ブランビラ
イタリアの旗 スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 11 スイスの旗 クレイ・レガツォーニ フェラーリ 312B3-74 フェラーリ 001/11 3.0L F12 G
12 オーストリアの旗 ニキ・ラウダ
イギリスの旗 チーム・モチュール・BRM 14 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ BRM P201 BRM P200 3.0L V12 F
15 フランスの旗 アンリ・ペスカロロ
37 フランスの旗 フランソワ・ミゴール P160E BRM P142 3.0L V12
アメリカ合衆国の旗 UOP・シャドウ・レーシングチーム 16 イギリスの旗 トム・プライス シャドウ DN3 フォード DFV 3.0L V8 G
17 フランスの旗 ジャン=ピエール・ジャリエ
イギリスの旗 バング&オルフセン・チーム・サーティース 18 イギリスの旗 デレック・ベル サーティース TS16 フォード DFV 3.0L V8 F
19 西ドイツの旗 ヨッヘン・マス
イギリスの旗 フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ 20 イタリアの旗 アルトゥーロ・メルツァリオ イソ・マールボロ FW フォード DFV 3.0L V8 F
21 デンマークの旗 トム・ベルソ英語版
イギリスの旗 チーム・エンサイン 22 オーストラリアの旗 ヴァーン・シュパン エンサイン N174 フォード DFV 3.0L V8 F
イギリスの旗 トロージャン-トーラナック・レーシング 23 オーストラリアの旗 ティム・シェンケン トロージャン英語版 T103 フォード DFV 3.0L V8 F
イギリスの旗 ヘスケス・レーシング 24 イギリスの旗 ジェームス・ハント ヘスケス 308 フォード DFV 3.0L V8 F
日本の旗 マキ・エンジニアリング 25 ニュージーランドの旗 ハウデン・ガンレイ マキ F101 フォード DFV 3.0L V8 F
イギリスの旗 エンバシー・レーシング・ウィズ・グラハム・ヒル 26 イギリスの旗 グラハム・ヒル ローラ T370 フォード DFV 3.0L V8 F
27 イギリスの旗 ガイ・エドワーズ 1
イギリスの旗 ピーター・ゲシン
イギリスの旗 ジョン・ゴールディ・レーシング・ウィズ・ヘキサゴン 28 イギリスの旗 ジョン・ワトソン ブラバム BT42 フォード DFV 3.0L V8 F
イギリスの旗 アリード・ポリマー・グループ 208 イタリアの旗 レラ・ロンバルディ
イギリスの旗 ピッチ・プラント・リミテッド 29 ニュージーランドの旗 ジョン・ニコルソン リンカー英語版 006 フォード DFV 3.0L V8 G
イギリスの旗 デンプスター・インターナショナル・レーシングチーム 35 イギリスの旗 マイク・ワイルズ マーチ 731 フォード DFV 3.0L V8 F
イタリアの旗 スクーデリア・フィノット 41 イギリスの旗 アンディ・サトクリフ英語版 2 ブラバム BT42 フォード DFV 3.0L V8 F
イギリスの旗 トークン・レーシング 42 イギリスの旗 デビッド・パーレイ トークン RJ02 フォード DFV 3.0L V8 F
フィンランドの旗 AAW・レーシングチーム 43 フィンランドの旗 レオ・キヌーネン サーティース TS16 フォード DFV 3.0L V8 F
出典: [W 7][W 8]
追記
  • ^1 - エドワーズは左手首の負傷により出場を取りやめ、ゲシンに交代
  • ^2 - エントリーのみ

予選

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(特記のない出典:[W 5]

ニキ・ラウダが3戦連続でポールポジションを獲得した。ロニー・ピーターソンがラウダと同タイムの2番手でフロントローに並ぶ。予選初日にベストタイムを出した地元出身の新人トム・プライス[7]は、3列目の5番手からスタートする。

女性ドライバーのレラ・ロンバルディも初日は1分23秒6の好タイムを出す健闘を見せたが[7]、決勝に進出できる上位25台には届かず、サーキットへの到着が遅れて2日目のみの参加となったマキハウデン・ガンレイも首位のラウダから4秒遅れで、決勝に進むことができなかった[5]

予選結果

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順位 No. ドライバー コンストラクター タイム Grid
1 12 オーストリアの旗 ニキ・ラウダ フェラーリ 1:19.7 - 1
2 1 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン ロータス-フォード 1:19.7 0.0 2
3 3 南アフリカの旗 ジョディー・シェクター ティレル-フォード 1:20.1 +0.4 3
4 7 アルゼンチンの旗 カルロス・ロイテマン ブラバム-フォード 1:20.2 +0.5 4
5 16 イギリスの旗 トム・プライス シャドウ-フォード 1:20.3 +0.6 5
6 24 イギリスの旗 ジェームス・ハント ヘスケス-フォード 1:20.3 +0.6 6
7 11 スイスの旗 クレイ・レガツォーニ フェラーリ 1:20.3 +0.6 7
8 5 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ マクラーレン-フォード 1:20.5 +0.8 8
9 9 西ドイツの旗 ハンス=ヨアヒム・スタック マーチ-フォード 1:20.7 +1.0 9
10 4 フランスの旗 パトリック・デパイユ ティレル-フォード 1:20.8 +1.1 10
11 33 イギリスの旗 マイク・ヘイルウッド マクラーレン-フォード 1:21.2 +1.5 11
12 2 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス ロータス-フォード 1:21.2 +1.5 12
13 28 イギリスの旗 ジョン・ワトソン ブラバム-フォード 1:21.3 +1.6 13
14 37 フランスの旗 フランソワ・ミゴール BRM 1:21.4 +1.7 14
15 20 イタリアの旗 アルトゥーロ・メルツァリオ イソ・マールボロ-フォード 1:21.6 +1.9 15
16 17 フランスの旗 ジャン=ピエール・ジャリエ シャドウ-フォード 1:21.6 +1.9 16
17 19 西ドイツの旗 ヨッヘン・マス サーティース-フォード 1:21.6 +1.9 17
18 10 イタリアの旗 ヴィットリオ・ブランビラ マーチ-フォード 1:21.6 +1.9 18
19 6 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 1:21.7 +2.0 19
20 8 ブラジルの旗 カルロス・パーチェ ブラバム-フォード 1:21.7 +2.0 20
21 27 イギリスの旗 ピーター・ゲシン ローラ-フォード 1:21.7 +2.0 21
22 26 イギリスの旗 グラハム・ヒル ローラ-フォード 1:21.9 +2.2 22
23 14 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ BRM 1:22.1 +2.4 23
24 15 フランスの旗 アンリ・ペスカロロ BRM 1:22.2 +2.5 24
25 23 オーストラリアの旗 ティム・シェンケン トロージャン英語版-フォード 1:22.4 +2.7 25
上位25台が決勝進出
26 42 イギリスの旗 デビッド・パーレイ トークン-フォード 1:22.7 +3.0 DNQ
27 18 イギリスの旗 デレック・ベル サーティース-フォード 1:22.7 +3.0 DNQ
28 21 デンマークの旗 トム・ベルソ英語版 イソ・マールボロ-フォード 1:23.3 +3.6 DNQ
29 208 イタリアの旗 レラ・ロンバルディ ブラバム-フォード 1:23.3 +3.6 DNQ
30 22 オーストラリアの旗 ヴァーン・シュパン エンサイン-フォード 1:23.4 +3.7 DNQ
31 29 ニュージーランドの旗 ジョン・ニコルソン リンカー英語版-フォード 1:23.6 +3.9 DNQ
32 25 ニュージーランドの旗 ハウデン・ガンレイ マキ-フォード 1:23.7 +4.0 DNQ
33 35 イギリスの旗 マイク・ワイルズ マーチ-フォード 1:24.1 +4.4 DNQ
34 43 フィンランドの旗 レオ・キヌーネン サーティース-フォード 1:25.6 +5.9 DNQ
35 27 イギリスの旗 ガイ・エドワーズ 1 ローラ-フォード 1:34.9 +15.2 WD 1
出典: [W 1][W 9]
追記
  • ^1 - エドワーズは左手首の負傷により出場を取りやめ、ゲシンに交代

決勝

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ティレルジョディー・シェクターがレースを制した。
マクラーレンエマーソン・フィッティパルディは2位でフィニッシュした。

(特記のない出典:[8]

エンバシー・ヒルで1年ぶりの出走となるピーター・ゲシンは、朝のウォームアップランでエンジンをブローさせてしまい、グラハム・ヒルスペアカーに乗り換えた。

ポールポジションからスタートしたニキ・ラウダが勢いよく飛び出し、ジョディー・シェクタークレイ・レガツォーニに3車身差を付ける一方、2番手スタートのロニー・ピーターソンはレガツォーニの後方4番手まで順位を落とした。ゲシンはコクピットが合わないマシンに苦慮した上に1周もしないうちにタイヤがパンクしてリタイアに終わり、寂しい復帰戦となってしまった[注 4]

ラウダはシェクターとの差を広げていき、5周目には2.2秒の差を付けた。レガツォーニは巧妙にピーターソンを抑えてラウダを援護する。

レース中盤まで動きはあまりなかったが、ハンス=ヨアヒム・スタックが36周目のジングルベル・コーナーを抜けたところで大きくスピンし、マシンは土手にクラッシュしてしまう。マシンは炎上しなかったが、この事故により泥と小石がコース上に散乱してしまい、各車パンクの恐怖に怯えることになる。まずピーターソンが39周目に小石によりリアタイヤがパンクしてしまい、続いてレガツォーニも41周目に右フロントタイヤをパンクさせてしまう。両者ともタイヤを交換してコースに復帰したが、大きく順位を落としてしまった。

ラウダは62周目まで快調に首位を独走していたが、右リアタイヤがパンクするとペースがどんどん落ちていく。心配するピットクルーからピットインの指示が出たが、ラウダはそのまま走行を重ねるも70周目にはシェクターに首位の座を奪われ、続いてエマーソン・フィッティパルディにも先行されてしまう。なんとか完走してポイントを獲得したかったが、残り2周となった73周目には右リアホイールがむき出しとなってしまい、火花まで出てしまっていたため、ピットインせざるを得なかった。ホイールの交換はわずか15秒で終わったが、ピットロードはフィニッシュを見ようとする人々の群れに塞がれてコースに復帰できず[9]、入賞圏外の9位まで落ちてしまった。

シェクターは今季2勝目を挙げてドライバーズチャンピオン争いに加わり、ケン・ティレルも大喜びだった。フィッティパルディが2位、ジャッキー・イクスが3位で表彰台を獲得した[W 6]。一方、フェラーリのスポーティングディレクターを務めるルカ・ディ・モンテゼーモロはラウダが最後の1周を走行できなかったことに対し、主催者の王立自動車クラブ(RAC)に抗議するも却下され[W 6]、ラウダは9位のまま一旦はリザルトが確定したが、モンテゼーモロが国際自動車連盟(FIA)にも抗議した結果[W 6]、2ヶ月後の9月19日にFIAが「架空の1周」を認め、9位から入賞圏内の5位に浮上してポイント獲得にこぎつけた[9][10]

レース結果

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順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 Grid Pts.
1 3 南アフリカの旗 ジョディー・シェクター ティレル-フォード 75 1:43:02.2 3 9
2 5 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ マクラーレン-フォード 75 +15.3 8 6
3 2 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス ロータス-フォード 75 +1:01.5 12 4
4 11 スイスの旗 クレイ・レガツォーニ フェラーリ 75 +1:07.2 7 3
5 12 オーストリアの旗 ニキ・ラウダ 1 フェラーリ 74 1 +1 Lap 1 1 2
6 7 アルゼンチンの旗 カルロス・ロイテマン ブラバム-フォード 74 +1 Lap 4 1
7 6 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 74 +1 Lap 19
8 16 イギリスの旗 トム・プライス シャドウ-フォード 74 +1 Lap 5
9 8 ブラジルの旗 カルロス・パーチェ ブラバム-フォード 74 +1 Lap 20
10 1 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン ロータス-フォード 73 +2 Laps 2
11 28 イギリスの旗 ジョン・ワトソン ブラバム-フォード 73 +2 Laps 13
12 14 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ BRM 72 +3 Laps 23
13 26 イギリスの旗 グラハム・ヒル ローラ-フォード 69 +6 Laps 22
14 19 西ドイツの旗 ヨッヘン・マス サーティース-フォード 68 +7 Laps 17
Ret 15 フランスの旗 アンリ・ペスカロロ BRM 64 エンジン 24
NC 37 フランスの旗 フランソワ・ミゴール BRM 62 規定周回数不足 14
Ret 33 イギリスの旗 マイク・ヘイルウッド マクラーレン-フォード 57 スピンオフ 11
Ret 17 フランスの旗 ジャン=ピエール・ジャリエ シャドウ-フォード 45 サスペンション 16
Ret 9 西ドイツの旗 ハンス=ヨアヒム・スタック マーチ-フォード 36 アクシデント 9
Ret 4 フランスの旗 パトリック・デパイユ ティレル-フォード 35 エンジン 10
Ret 20 イタリアの旗 アルトゥーロ・メルツァリオ イソ・マールボロ-フォード 25 エンジン 15
Ret 10 イタリアの旗 ヴィットリオ・ブランビラ マーチ-フォード 17 燃料システム 18
Ret 23 オーストラリアの旗 ティム・シェンケン トロージャン英語版-フォード 6 サスペンション 25
Ret 24 イギリスの旗 ジェームス・ハント ヘスケス-フォード 2 サスペンション 6
Ret 27 イギリスの旗 ピーター・ゲシン ローラ-フォード 0 タイヤ/ドライビングポジション[1][11] 21
DNQ 42 イギリスの旗 デビッド・パーレイ トークン-フォード 予選不通過
DNQ 18 イギリスの旗 デレック・ベル サーティース-フォード 予選不通過
DNQ 21 デンマークの旗 トム・ベルソ英語版 イソ・マールボロ-フォード 予選不通過
DNQ 208 イタリアの旗 レラ・ロンバルディ ブラバム-フォード 予選不通過
DNQ 22 オーストラリアの旗 ヴァーン・シュパン エンサイン-フォード 予選不通過
DNQ 29 ニュージーランドの旗 ジョン・ニコルソン リンカー英語版-フォード 予選不通過
DNQ 25 ニュージーランドの旗 ハウデン・ガンレイ マキ-フォード 予選不通過
DNQ 35 イギリスの旗 マイク・ワイルズ マーチ-フォード 予選不通過
DNQ 43 フィンランドの旗 レオ・キヌーネン サーティース-フォード 予選不通過
WD 27 イギリスの旗 ガイ・エドワーズ ローラ-フォード ゲシンに交代
優勝スピード(勝者シェクターの平均速度):186.269 km/h
ファステストラップニキ・ラウダ - 1:21.1(25周目)[W 2]
出典: [W 10][W 3][W 9]
追記
  • ^1 - ラウダは74周目を完了していないが、フェラーリからFIAへのアピールが認められて1周加算された[1]
ラップリーダー
ドライバー 周回数 リードラップ
ニキ・ラウダ 69周 1-69
ジョディー・シェクター 6周 70-75
出典: [W 11]
  • 太字は最多ラップリーダー

主な記録

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ドライバー

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コンストラクター

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エンジン

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第10戦終了時点のランキング

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ポイントはレース終了から2ヶ月後にニキ・ラウダの順位が9位から5位に繰り上がった後のものとする。

  • : トップ5のみ表示。有効ポイントは前半8戦のうちベスト7戦と後半7戦のうちベスト6戦の合計。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。

脚注

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注釈

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  1. ^ F1世界選手権のレースで3桁のカーナンバーが使用されたのは、1952年ドイツGPの全車と本GPのロンバルディのみである。なお、1952年F2の規定により世界選手権が開催されたため、厳密には本GPのロンバルディのみとなる。
  2. ^ 自動車メーカーと関係を持たない日本のコンストラクターが海外のF1世界選手権レースに参戦したのはマキのみである。
  3. ^ この大改造を行った後のマシンは、通称「F101B」とも呼ばれる。
  4. ^ ゲシンはこれが最後のF1出走となった。

出典

[編集]
書籍
  1. ^ a b c (林信次 1993, p. 128)
  2. ^ (林信次 1993, p. 82)
  3. ^ (AUTOSPORT 151, pp. 29, 31)
  4. ^ (林信次 1993, pp. 79–80)
  5. ^ a b (AUTOSPORT 151, p. 33)
  6. ^ (林信次 1993, p. 89)
  7. ^ a b (AUTOSPORT 151, p. 31)
  8. ^ (AUTOSPORT 151, pp. 29–31)
  9. ^ a b (林信次 1993, p. 78)
  10. ^ (AUTOSPORT 155, p. 50)
  11. ^ (AUTOSPORT 151, p. 29)
ウェブサイト
  1. ^ a b Britain 1974 - Qualifications” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
  2. ^ a b Britain 1974 - Best laps” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
  3. ^ a b Britain 1974 - Result” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
  4. ^ 1974 Formula 1 World Championship Programmes” (英語). The Programme Covers Project. 2025年8月21日閲覧。
  5. ^ a b c British GP, 1974” (英語). grandprix.com. 2025年8月21日閲覧。
  6. ^ a b c d e f Britain 1974”. STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
  7. ^ Britain 1974 - Race entrants” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
  8. ^ 1974 British Grand Prix Entry list” (英語). Racing Sports Cars. 2023年10月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年8月21日閲覧。
  9. ^ a b Britain 1974 - Starting grid” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
  10. ^ 1974 British Grand Prix”. formula1.com. 2015年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年8月21日閲覧。
  11. ^ Britain 1974 - Laps led” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
  12. ^ 戦績:J.ニコルソン”. F1 DataWeb. 2025年8月21日閲覧。
  13. ^ 戦績:M.ワイルズ”. F1 DataWeb. 2025年8月21日閲覧。
  14. ^ 戦績:L.ロンバルディ”. F1 DataWeb. 2025年8月21日閲覧。
  15. ^ Women in Formula One|Overview of all F1 Female drivers” (英語). RacingNews365.com. 2025年8月21日閲覧。
  16. ^ 戦績:P.ゲシン”. F1 DataWeb. 2025年8月21日閲覧。
  17. ^ South Africa - Grands Prix started (1974)” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
  18. ^ Austria - Grands Prix started (1974)” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
  19. ^ Austria - Wins” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
  20. ^ Austria - Podiums” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
  21. ^ Austria - Pole positions” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
  22. ^ Austria - Fastests laps” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
  23. ^ Austria” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
  24. ^ 戦績:リンカー”. F1 DataWeb. 2025年8月21日閲覧。
  25. ^ 戦績:マキ”. F1 DataWeb. 2025年8月21日閲覧。
  26. ^ Maki” (フランス語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
  27. ^ Iso-Marlboro - Grands Prix started 1974” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
  28. ^ Tyrrell - Grands Prix started 1974” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
  29. ^ Grands Prix Britain (Wins)” (英語). STATS F1. 2025年8月21日閲覧。
  30. ^ a b FIA Formula One World Championship 1974 British Grand Prix Standings” (英語). Motorsport Stats. 2025年8月21日閲覧。

参照文献

[編集]
  • Wikipedia英語版 - en:1974 British Grand Prix(2025年5月15日 11:58:59(UTC))
  • 林信次『F1全史 1971-1975 [名手スチュワートの退場/若手精鋭たちの新時代]』ニューズ出版(現:三栄)、1993年。ISBN 4-938495-05-8ASB:FZS19931201 
  • 山口正彦、赤井邦彦「イギリス・グランプリ」『AUTO SPORT No.151 1974年9月15日号』、三栄書房、1974年、27-33頁、ASB:AST19740915 
  • 「情報パック「ラウダ、5位!」」『AUTO SPORT No.155 1974年11月15日号』、三栄書房、1974年、50頁、ASB:AST19741115 

外部リンク

[編集]
前戦
1974年フランスグランプリ
FIA F1世界選手権
1974年シーズン
次戦
1974年ドイツグランプリ
前回開催
1973年イギリスグランプリ
イギリスの旗 イギリスグランプリ 次回開催
1975年イギリスグランプリ